【5】ふたりで生きる

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手を携えて 2 ◇ ◇ ◇ 習い事への温度差が際立つのは中学生の間か、遅くても高校を卒業を卒業した頃に集中する。本気か、たしなみ事かの境界線が引かれるのもこの頃。 政は、事あるごとに書道家として身を立てると広言していたので、学業と併せて積極的に活動の幅を広げていた。近頃では師の教室を手伝い、後進の指導も行っていた。 加奈江はといえば、書道は週に1回のお稽古に落ち着いていた。趣味を超えない範囲で細々と続け、その縁で紹介を受けた筆耕のアルバイトをしていた。自宅近くのホテルで招待状や芳名札などを書いている。 政は事実上引退した形に近い加奈江へ、事あるごとに「辞めるな」と言った。 今日も師匠の元へ行く道すがら、彼女の『引退』に話が及んだ。 「お前は、まだまだ上手くなるのに」と言う。 それは、きっと彼の欲目だ。うれしいけれど、少し違う。 「人より少しばかり字が上手くて、得したと思ってるの。だから、私はもういい」 「そんなこと言うな、俺は、お前の字が好きだよ」 「じゃ、あなただけが好いてくれればいい」 これは加奈江の混じり気なしの本音。 彼には、一度、自分の字を真似されて嫉妬した。 けれど、今は、彼と自分との格の違いを思い知らされても、悔しさより喜ぶ心しか出てこない。 私の字が、一時でも彼の中に残っているのなら、それだけで満足。 彼の役に立てるだけでいい。 納得しかねると言う政は、かなり甘いと思う。 彼は、とかく加奈江のことになると甘くなる。けれど、冷徹な書道家の目に戻れば見えてくるものがあるはずだ。 素人はいくら練習しても上達できず頭打ちになる日が早くに来る。加奈江は自分の能力に見切りをつけた。政には自分を推してくれる気持ちを、制作に振り向けてほしいと思っていた。
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