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制作中に? 過去にはあり得ないこと。彼女はさらに混乱する。
空咳をしてから、掠れた声で応えた。
「なあに?」
「カナ」
政は言う。
「なあに」
おうむ返しに加奈江は応える。
「……カナ」
「何でしょう?」
「いや、いい」
彼は首を一度振る。
どうしたのかしら、と加奈江は小首を傾げた。
「俺、教室をいくつか、任されることになった」
「え?」
「まだ、俺も学生だから……先生みたいに四六時中始終面倒は見られないけど、まずは小さい教室から。週に1回とか、授業のない週末に指導するところから始めようと思う。わずかだけど、給料ももらえる。今後のがんばり次第だけど」
「独立するということ?」
「そんなに大層なことでもないけどな」
とんでもない、大層なことだ。
「よかった、おめでとう」
知らず声はうわずり、喜びを伝えるものになる。
彼は書の道で生きると言い続けてきた、その夢を実現させる一歩なのだから。
もっと的確に思いを伝える言葉があればいいのに。おめでとう、と何度も口にした。
「ありがとう」
短く応える声は、照れを含んでいた。
ああ、でも。
そのことと、今日、この場に呼ばれたこと。
何の関係があるのかしら。
「……カナ」
政は一度も振り返らず、言う。
「なあに」
いつものように加奈江も応えて言った。
「カナ」
「何です?」
ほう、と政は大きく息を吐いた。
「呼ぶと、いつも返事してくれるよな」
一瞬、返答に迷い、言葉が出ない。
かわりに「うん」と応えた。
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