【5】ふたりで生きる

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今日の午後の授業が始まる前のことだ。加奈江が教室へ移動中の時、背後で鮮やかに語る声がした。 深くて、知的で、耳障りの良い声。 政君だわ、と勢いつけて振り返った先にいたのは、目線が政より上の、頭髪が半分以上白いものに被われている壮年の男性だった。この顔には見覚えがある。 もしかしなくても、政君のお父様……? 勢いつけて振り返った彼女の様子が目立ったのだろう。彼女は彼の父としばし見つめ合った。 バネ人形のように直角90度でお辞儀をする彼女を見る目尻が、政に似ていると思った。 「俺が? 親父と? 似てるだって?」 あきらかに嫌そうに政は言う。 「一度も言われたことないけどなあ」 「ううん、似てる。声は区別つかないくらいよ 「えええー」 心外だと政は憤慨する。 彼女も薄々気づいていた。彼は、口には出さないけれど、父親に複雑な感情を抱いているのを。 親子だから、過去のいきさつがあるから、厳しいものになるのだろう、と彼女は思っていたけれど、案外彼なりの歪んだ愛情表現なのかもしれない。 反面、母親への感情は今もってわからず、彼の言動から身内への親愛の情や温かさを感じないのは、さびしいことだと加奈江は思った。
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