第一章

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 そんな抗弁をする間も与えず、早蕨恭子の瞳を捕まえながらタイトは説明を始めた。 「相談者は四十一歳の女性。小百合さんとは同じフラメンコ教室に通う仲間で、ある事件の犯人として警察に疑われているらしい。それで、どうしたらいいのか悩んでるんだって」 「真犯人ではないんですね」 「知らない。相談者は無実だと言うだろうね」 「……犯人の可能性もあるんだ」 「警察が疑ってるなら、それなりの根拠はあると思うよ」 「で、どんな事件なんです?」 「さあ? 会ってから聞けばいいと思ってたから、詳しくは聞いてない」 「ちょっ、凶悪犯だったらどうするんです?」 「小百合さんの紹介だから、大丈夫だよ。きっと」 「その最後の『きっと』って単語がやたらと不安なんですけど」 「いや、大丈夫。ガンさんもいるしさ」  今度はタイトは『きっと』を付けなかった。早蕨もこれには首肯せざるを得ない。何かが起きてしまっても、きっと守ってくれる。そういう信頼がガンさんに対してはあった。  ガンさんも警護に関しては自信があって、重々しく肯くことで安全を請け負ってみせる。引退したとはいっても長年の警察勤務は衰えのない体躯と気迫を蓄積していて、ガンさんは小柄ながらどっしりとした安定感がある。 「ね? 僕が戻るまで繋いでくれればいいから」  タイトから疑念のまじらない微笑みを向けられて、早蕨恭子は観念した。まさかいきなり包丁で刺されるなんて事もあるまい。それによく考えると、依頼者の相談に乗るのはちょうどいい訓練にもなる。 「わっ、わかりました。やってみます」 「ありがとう。もうすぐ来ると思うよ」  時刻は夕方七時の十分前。涼香の通う小学校までは自転車で五分足らずで到着できるため、ぎりぎり時間内に迎えに行ける。  ガンさんは来客に備えて、談話室に広げた資料を片付け始める。タイトは軽く手を振って出ていく。早蕨がテーブルを拭き終えた時、その相談者は現れた。  白いブラウスに濃紺のパンツという出で立ちはまるで学校の先生のように見えたが、相談者の職業は婦人服を作っている会社の事務員だった。そう相談カードに記入されていく綺麗な文字を眺めながら、早蕨はどういう感じで話を進めるべきか心を鎮めて考えた。取り敢えず包丁を隠し持っている様子は無い。落ち着いて見えるから、いきなり暴れだす事もなさそうだ。 「これでよろしいでしょうか?」
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