それぞれの思惑

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戦わずに退却したことは、プライドの高いデンスの民を傷つけた。 故郷を目指し、前線を離れる自国の民をアルベルトは無言で見送った。空色のピアスが大きな耳に虚しく光っていた。 クリストファーが非難してもアルベルトは応えず、セオドアの淹れたお茶にも手をつけなかった。 デンスの民が消えると寄せ集めの傭兵も消えてゆき、ダニエルの率いていた兵は500人ぐらいになってしまった。アルベルトは日々の鍛錬もせずに無表情で見送っていた。そして気がつくといなくなっていた。 「自分で蒔いた種なのにあんなに落ち込みやがってムカつくやつ!」 クリストファーが行き場のない怒りをあらわにすると、セオドアが眉をあげた。 「人のせいにしても仕方ありません。とりあえずダニエル様を探しましょう。」 ※※※ 聖堂には小さいが透き通った声が響いていた。声はひたすら祈りを捧げている。細いが節くれだった指がロザリオの上を滑る。その影に寄り添うように修道女が無言で祈りを捧げている。 午前12時を告げる合図が聖堂の上の棟から響いても祈りは終わらない。ステンドグラスの柔らかい光に包まれて2人の女性は祈りを捧げていた。 ラベンダーズバリーに戻ってきたダニエルを見てもシスターテレジアは何も聞かず声をかけた。迷いがなくなるまで共に祈ろう、と。 乱れた金髪から黒曜石のピアスがのぞかせてダニエルは頷いた。 祈ることでなにかが直接的に変わるわけではないのは分かっている。でも、心の平安を得るには祈ること以外に考えられなかったのだ。 自分が何もかも捨てて逃げて来たことは分かっている。頼ってくる、すがりついてくる民の顔が繰り返し浮かぶ。人々の期待に満ちた目がダニエルのこころに突き刺さる。 でも、自分では実力不足でどうしようもないのだ。武力もなく、知力もなく、何も知らない私が軍隊を率いることはできない… 私は父のようにはなれない 娘といえども所詮、側室の子なのだから… だからといってこの身を他の男に差し出すことすらできなかった。頭では分かっていても身体が拒否するのだ。男の熱い目線を経験して真の底から身震いが止まらない。 雑念を振り払うように祈りを唱え、一周ロザリオを回した時馬のギャロップ音が響いた。
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