凪の海

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 だがこの話しには当の京都人も気づかない重大な誤りがあると泰滋は考えていた。自己責任において自分が出来ることと出来ないことをはっきりと伝え、問われた方は、欲している事、欲していないことを相手にはっきり伝えてこそ、正しい「礼」と「好意」が成立するのではないだろうか。だから京都で一生を過ごしたら、そんな風土にどっぷり浸かって、自分の感性もゆがんでいってしまいそうで怖かった。 「泰滋ちゃん。ごはんできましたで。」  台所から母が呼ぶ声がした。 「ほな、おとうさん。失礼します。」  泰滋は父から受ける言いようのない息苦しさから逃げるように、母のいる台所へ急いだ。  汀怜奈はギターケースを抱えて、ヨーロッパ大陸鉄道の寝台席に収まっていた。パリから離れること1060km、マドリードに住むホアキン・ロドリーゴ氏に会いに行くのだ。娘さんから手紙をもらってからこの日まで、レッスンスケジュールやロドリーゴ氏のご都合などの調整で3カ月かかってしまった。パリを午後6時半に出発し、翌朝の午前9時半にマドリードに到着。15時間の長旅だ。車中の快適なベッドでひと寝入りすれば、目を覚ました朝にはマドリードにいると解っているものの、いよいよロドリーゴ氏に会えると思うと、汀怜奈はその興奮と期待で眠れそうもない。  汀怜奈は車窓に流れる家屋の光を眺めながら、短いながらもここまでの自分の軌跡を思い返してみた。  田園調布に生まれた汀怜奈は、3歳からギターの演奏家である父より手ほどきを受けた。残念ながら、父は一番下の妹が生まれた時に、母親と離婚しアメリカへ行ってしまったのだが、そんな不幸にも影響されることなく、父の手で娘に植えつけられたギタリスタの種は、すくすくと成長を続ける。10歳には日本の代表的なギター演奏家である福田進一に師事。そして、11歳でジュニア・ギターコンテストにおいて最優秀賞受賞。13歳で学生ギター・コンクールにおいて、全部門通じての最優秀賞を受賞。そして14歳にはブローウェル国際ギター・コンクール(東京)及び東京国際ギター・コンクールで優勝を果たした。
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