凪の海

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 この早熟な天才ギタリスタ(guitarrista)はその後も留まるところを知らず、津田ホールにてデビューリサイタルし、ソリストとしてCDデビュー(15歳)。日本フィルハーモニー交響楽団と共演、協奏曲デビュー(16歳)。イタリア国立放送交響楽団の日本ツアーにソリストとして同行・出光音楽賞を最年少で受賞(17歳)。村松賞受賞後、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招かれ本拠地トリノにおいて共演(18歳)。このヨーロッパ・デビューとなるコンサートはヨーロッパ全土にテレビで放映された。  ここまでくればもう一流の演奏家なのだが、19歳になると、パリのエコール・ノルマルに留学を決意し、アルベルト・ポンセに師事したのである。国際的な演奏活動の開始を目前にした彼女は、あらためて自分の音楽性を見直す必要性を感じたのだろう。  ヨーロッパ鉄道の車中に居る汀怜奈は一睡も出来ぬままマドリード駅に到着すると、ロドリーゴ氏が住む家へタクシーを飛ばした。  玄関で汀怜奈を迎えてくれたのは、美しい娘さんだった。もちろん汀怜奈の母より年上なのだが、知性と品を備えた瞳に、優しそうな笑みを浮かべて汀怜奈に歓迎のキスをしてくれた。 「実は、父は風邪を引いていて具合が悪いのですが、セニョリータ・ムラセが来るのを楽しみに待っていましたよ。どうぞ遠慮なくおはいり下さい。今はピアノの演奏中だから、少し待っててね。」  流暢なフランス語で汀怜奈をピアノが置いてあるリビングに導いた。そして果たして、そのピアノに対坐して、汀怜奈が尊敬してやまないあの巨匠ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ氏がいた。  汀怜奈がお会いした時、ロドリーゴ氏は97歳のご高齢であった。残念なことに汀怜奈がお会いした数カ月後にお亡くなりになったのだから、汀怜奈は貴重なお時間を頂いたことになる。  ロドリーゴ氏は汀怜奈がリビングに入ってきても、鍵盤上の指を止めることなくピアノ演奏を続けている。氏は毎日必ずピアノを弾く時間を取るのだと、お嬢さんが汀怜奈に囁いた。高齢であるから右手だけで簡単なメロディを弾くだけなのだが、こんなご高齢になってもピアノとの距離を大切にする氏のご精進の姿勢に、汀怜奈はあらためて尊敬のまなざしで氏を見守った。
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