凪の海

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 誰が言ったかわからぬ提案に従って、3年生たちがダラダラと歩き始めたのだった。自分の10年の総決算にしては、悲しすぎる打ち上げだと佑樹は思った。  それ以来、佑樹の不抜け状態は続いている。欠席もせず真面目に部活をしたおかげで、2流大学ではあるが一般推薦枠を取ることができた。しかし、大学で何をやりたいか考えることができない。とりあえずもう野球をやる気にはなれないことだけは、はっきりしている。  考えてみれば小学校2年生以来、野球中心の生活をしていたから、いまその野球が無くなってしまうと、何もない空洞化された自分の生活に気づく。そう、俺は野球以外何もやってこなかった。 「おい、佑樹。暇なんだろ。洗濯もの干すの手伝ってくれや。」  下の階からの父の大声によって佑樹の思考が中断された。もちろん、思考といっても、ただぼうっとしていただけなのだが…。  佑樹の父は、印税生活を夢見る小説家である。本人は恋愛小説家と自称しているが、その生業ではまったく食えなかった。ちゃんとした仕事に就けばいいのに、小説家に未練があるようで、覚悟の乏しいエロ小説を書いては小銭を稼いでいる。佑樹の母は、早くからそんな父を見限り、男をつくって家を出てしまった。父は仕方なく男手ひとつで、佑樹と3っ年上の兄のふたりの息子を育てた。ちょっと聞けば子ども思いの偉いおとうさんともいえるのだが、実はそれができたのは、同居する祖父の貯蓄によるところが大きい。 「今、大事なこと考えてるんだ。邪魔しないでくれよ。」 「よく言うよ、なぁんにも考えていないくせに…いつまで『明日のジョー』のエンディング状態でいるつもりだ。」 「なに?そのなんとかジョーって?」 「えっ?知らねえの?やだね…。いいから手伝えよ。」 「だから、瞑想中だって言ってるだろ。」 「はぁ…。親の苦労を見ながらその態度…冷たい息子だよ、お前は。」 「家を出ていった兄貴の方がよっぽど冷たいじゃないか。」  兄は大学生ながらアルバイトで稼ぎ、自立してアパートでひとり暮らししている。 「あいつは独立心が旺盛だからな。…いいんだぜ、お前も出ていっても。」  残念ながら佑樹はそんなバイタリティは持ちあわせていない。 「うるせい。だいたい俺の最後の試合にも観に来なかった親の言うことなんか、聞く義理がどこにあるんだ。」
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