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「そういえば、晴香の実家は筆の産地だったよな?」
「うん」──そう言いながら、晴香は故郷に思いを馳せる。何もないところだった。中途半端な田舎。それが一番正しいような気がする。
大きな市のちょうど真ん中に当たるその町は、そこへ勤める人のベッドタウンとなっていて、移動手段は車かバス。不便な立地だと思っていた。
不便だからという以上に、晴香は実家が嫌で、早く家を出たかった。
親とは不仲だったし、血の繋がってる他人のように思っていた。
「結婚の挨拶に行ったときに、晴香の家庭事情は知ってる。でも、そろそろお義父さんもお義母さんもいい年なんだし、きちんと話して、和解した方がいいと思うよ」
家に帰りたくないという晴香を、挨拶だけはしたいと言って、故郷に連れて行った日のことを思い出す。
『そんなんでええなら、持って行きんさい』と言っていたお義父さん。あのときは腹は立ったが、今思い返すと、もう後に引けなくなっていたようにも思える。
「晴香の家系は不器用だし、家族だから何でも分かってるつもりだったんだと思うよ。当たり前に近くにいるから、何でも知ってる気になってしまうし、何でも分かってる気になる。お互いは近くにいるけど、心はとても遠くにいて、分かり合えなかったんだろうな」
貴之は言葉を選びながら、晴香に伝えていく。こういう話が晴香を傷つけることは分かってはいたけど、時間は待ってくれない。
生きてはいても、ボケてしまっては和解はできなくなってしまう。そのときに、晴香が後悔しないようにしたいのだ。
「今度、一緒に行って話をしよう。今は遠くに感じても、努力次第で近づくことはできるから。孫ができたら変わるってよく言うし」
「変わるかな?」
不安そうな晴香に、「変わるよ」と強く言う貴之。おそらく、同じように育てられたお義父さんは、晴香の扱い方が分からなかったのだろう。孫ができれば、その分かわいがってくれる気がする。
「それに、俺たちの子供にも作ってやりたいし、胎毛筆」
そう言った貴之の言葉を聞いて、晴香は自分の胎毛筆を見て、考えるように目を閉じる。
まだ見ぬ子供の胎毛筆。それを作るとき、どんな気持ちになるのだろうか。
それを思うと、晴香は幸せな気持ちで満たされていく。だから──
「貴之がついてきてくれるなら、帰ろうかな」
少し勇気を出してみようと、晴香は思ったのだった。
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