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電話口でその女性からの、なんとなく要領を得ない話を、人形供養の事だろうと早合点してしまった事が、今となっては幸だったのか不幸だったのか、正源には分からない。
年に数えるほどしかない、檀家からの命日供養の読経の依頼の事で頭がいっぱいだったせいもある。父親の急死で寺を継いで、まだ一年にもならない新米住職である正源にとって、本来は神社の伝統である人形供養も、今後の寺の経営の事を考えれば、引き受けないという選択肢はなかった。
光沢のある真っ黒な表面に、仰々しく金色の草の模様が入ったスマートホンに向かって、正源はもう一方の手で仏具を鞄に詰め込みながら、愛想よく言った。
「分かりました、お引き受けしましょう。では、その日の午後三時で。あ、申し遅れましたが、私が住職のショウゲンと申します。藤本正源。はい、はい。こちらこそ、よろしく。では失礼します」
通話を終えて正源はスマホを鞄に放り込み、袈裟の着こなしを鏡で確かめ、本堂の裏手に停めてあった全自動運転の電気自動車に乗り込んだ。
行先をタッチパネルに入力すると、自動的にハンドルが動きだし、車は寺の門に向かった。車が道路に出て、後は全自動運転システムに任せて大丈夫な事を確認すると、檀家でどうふるまうべきかを記した巻物の形のカンニングペーパーの内容を頭に入れておくべく、読みふけった。
大通りに出ると、雲をつくような超高層ビルがいくつも影を地面に落としていた。
よくまあ、この時代に、文字通りビルの谷間に鎮座した格好で、あんな古い街並みが東京都心に残っているものだと、正源は思わず振り返って、二人乗りの車のせま苦しいリアウィンドウ越しに、自分の寺があるその下町地域を眺めた。
東京オリンピックが終わってから数年、東京もまた景気が沈滞し、悲壮感はないがどこかけだるい、停滞した雰囲気の世相になっていた。
よりによって、こんな時代に寺を継ぐことになるとは。正源はもう何度繰り返したか分からない繰り言を頭に浮かべた。
寺の住職の一人息子である以上、いつかは自分が寺を継いで坊主になるのだろうと漠然とは思っていた。
そのために仏教大学へ進学し、総本山で形ばかりの修業をし、得度もした。だが僧侶になったという実感はその時はまだなかった。
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