第二章 ストックホルム海軍軍縮条約

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しかし、ここでもなかなか条約の内容が決まらなかった。 それは、アメリカが提案した軍縮内容にあった。 この時アメリカは、大戦後の貿易で多額の利益を得たため経済が持ち直し、失業者も大幅に減少した事で、高額納税者層を中心に、建造に多額の金がかかる戦艦の建造に疑問の声が巻き起こっていた。 その為、大統領は自国が他国に対して不利にならないように、軍縮会議を招集したのであった。 また、会議を招集したのには他に、イギリスや日本の建艦に危機感を抱いていたからでもあった。 そして、アメリカは、各国の戦艦保有量を次のように提案した。 アメリカ、イギリス 10 日本 6 イタリア、フランス、ドイツ 3.5 であった。 だが、この案には日英両国から激しい反発があった。 まず反論したのは、対米6割に抑えられた日本の全権代理 財部 彪大将だった。 「なぜ我が国の保有量が貴国の6割に抑えられなければならないのだ? それも話し合いもせず勝手に決めようとするなど、道理が通って無いのでは?」 そう、やんわりとだが、力強く反論した。 「それは、貴国の経済力の事情などを考慮したからですよ」 「それは、おかしいのでは? 我が国の事情の事は貴国には関係ないだろう」 その主張にイギリスも同調し、会議は紛糾した。 特に日本、イギリスの両国が強く反発したのが、この条約の試案に日英同盟の破棄が含まれていた事であった。 この時の日英は、蜜月関係と言って良いほど良好であり、破棄はとても受け入れられるものではなかった。
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