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大正 10年11月12日
アメリカ、ワシントンでワシントン軍縮会議が開かれた。
当時、日本や欧米は海軍軍備の拡張に励んでおり、海軍関連の予算は膨れ上がる一方だった。
各国政府は、このままでは遠からず財政の破綻を招くと懸念し、軍縮条約によって、建艦競争に歯止めをかけようと考えた。
しかし、この会議は今日よく知られているように、決裂に終わり、建艦競争は、それまでにも増して熾烈化した。
だが軍艦、とりわけ戦艦や巡戦の建造には巨額の予算がかかる。
新造艦の乗組員を確保するため、海軍軍人の大幅な増員も行われ、人件費も増大した。
「このままでは、海軍に国が食い潰される」
「我が国は、敵ではなく、自国の海軍によって攻め滅ぼされてしまう」
といった財務官僚の悲鳴は年ごとに大きくなっていった。
各国は、今度こそ建艦競争を終わらせるべく、昭和元年(1926年)6月29日、スウェーデンの首都 ストックホルムで、二度目の軍縮会議を開催した。
会議は難航し、およそ3ヶ月に及んだが、同年の10月2日には軍縮案がまとまり、ストックホルム軍縮条約が正式に調印されるに至った。
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