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これは三十代の男性である阿部さんが、幼い頃にお爺さんから聞かせてもらったという話。
阿部さんのお爺さんは、生まれてからずっと福島県のO市で暮らしており、林業をして収入を得ていた人だった。
ある年の晩秋の早朝、お爺さんはいつも通りの時間に起床すると、家族が起きてくるまでの間、茶の間で一人新聞を読んで過ごしていた。
お爺さんの家がある周囲は田畑が広がり、一番近い隣家との距離も百メートル近く離れているため、早朝の時間帯は特に人の気配が希薄に感じられたという。
そんな濃い静寂に満ちた空間で新聞を読み進めていると、不意に
“――いでっ!”
と、中年と思しき男の声と、何か塊のような物が地面に落ちるボドッっという音が外から聞こえてきた。
何事だろうかと立ち上がり、お爺さんはそっと音が聞こえた方の窓へと近づくと、そっと障子を開けて外の様子を窺った。
しかし、人らしき姿はどこにも見当たらず、いつもと変わらない庭の景色が広がっているだけで、たった今自分が聞いた声の出処を特定することは適わなかった。
こんな静かな状態で、空耳や聞き間違いなどあり得ない。かと言って泥棒とも考えにくい。
果たして誰の声だったのだろうか。
不思議に思いながら、暫し明け方の庭を眺めていたお爺さんは、ふとあることに思い至った。
声と同時に聞こえた、何かが落ちる音。
あれは、庭に実っている柿が地面に落ちた時に耳にするのと、同じ音ではなかったか。
お爺さんの家の庭には大きな柿の木が生えており、秋には熟した実が落ちてしまうことも珍しくはなかった。
実際、地面を見れば柿の実がいくつか転がっている。
――木の下に、誰かがいたのだろうか。
声以外は逃げる足音も何も聞こえはしなかったが、そうとしか考えられない状況に、お爺さんは何か目には見えないモノが柿を食べにでも来ていたか、とそんなことを想像し少し微笑ましい気持ちになったという。
死んだ人だって、腹が空けば食い物に寄ってくることもあるんだろうなぁ。
にこにこと笑いながら語り聞かせてくれたというこの話は、阿部さんが大人になった今でも、お爺さんとの大切な思い出として記憶の中に残っているそうだ。
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