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◇それを先生が着てくれたなら
その年のハロウィンが過ぎた頃、俺は悪友という名の知り合いからもらった〝それ〟をベッド脇に放置したままだった。
「……なんだこれは」
「あ……えっと、コスプレ衣装?」
久々に先生が俺の部屋に泊まりに来てくれた夜だった。シャワーを浴びて出てきた俺に、先生は訝しげにその紙袋の中身を指差して言った。
「コスプレ衣装……?」
「の、黒猫だよ」
「黒猫」
袋の中身はメンズサイズの黒猫衣装だった。もともと冗談で押し付けられたようなものだったけれど、もらったらもらったで、それを着た先生を想像して何かしらに励んだ夜がなかったとは言わない。
先生はベッドの端に座ったまま、改めて紙袋の中身を摘まみ上げる。なるほど、とその唇が動いた。
「……劇かなにかするのか」
「劇?」
「衣装ってことだろう」
「衣装……まぁ、間違ってはいないけど」
劇……。なんでそこで劇だよ。
俺はあえて平然とした顔で先生の隣に座る。何ごともなかったように首にかけていたタオルで髪を拭きながら、けれども内心では「マジそういうとこ……」と顔を覆っていた。
「お前が黒猫をやるのか?」
「へ?」
教師という職業がら、学校生活に無縁とも言えない演劇だとかそういうのが頭をよぎってしまうのはわかる。わかるけど、なんでそうなるんだよ。俺が黒猫なんてやるように見えるの!?
「……違います」
「? じゃあ……」
「見て、先生」
俺は先生の手元にあった紙袋を引き寄せ、それを目の前に広げて見せた。
どうせ先生は着てくれないだろうし、ひかれる前に適当に誤魔化せば良かったのに、
「これ、先生が着てくれないかなと思って」
「は?」
「先生、猫はきらい?」
「別に猫は嫌いじゃないが……」
「じゃあ、せっかくだし着てみてよ」
「なんでそうなる」
「え、サキュバスの方が良かった?」
「サ……サキュ?」
「サキュバスね」
結局はそんな先生の反応がかわいくて、思ったことをそのまま口にしてしまう。
先生は心底わけがわからないという表情で俺を見返してくる。サキュバスとはなんだと顔に書いてあるのに、下手に言わない方がいいと悟ったのか黙り込んでしまうところもまたかわいい。
「ふふ。なに、なにが言いたいの、先生」
「……だからなんでそういう話になるんだと言っているんだ。お前、わかってて言っているだろう」
「うん。だってほら、たまにはいいかなって」
「何がたまにはだ」
わかりやすく呆れ返った先生が額を押さえて息をつく。
それでも俺は諦めない。だって先生が実は押しに弱いことを俺は知っているから。なんだかんだ言って、一度は応じてくれようとするんだよね。その後二度目があるかどうかは別として。
「ね、先生」
「……」
「単なる猫だよ。パジャマみたいなもんだし」
「……パジャマ」
「そう、パジャマ。一回だけでいいからさ」
さりげなく上目遣いで差し出したそれを、ややして先生は手に取った。
END
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本編非公開前の最後のおまけとしてあげたお話でした。この不器用なりな二人を可愛がって下さってくださりありがとうございました。心温まるレビューなど本当に嬉しかったです。
市瀬雪
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