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一 遺体発見① 潰れた頭部
二〇二一年、八月八日、日曜、午後。
「山田がステージと岩壁の間の河原で死んでる!頭が潰れてる・・・」
奥山川の河原にある特設野外ステージへ山田勇作を探しに行った安西肇が、携帯で秋山秀一に山田勇作の死亡状況を説明した。
「安西さん!現場に手を触れるな!現場を保存するんだ!人も近づけるな!
こっちから警察へ連絡する!」
秋山の部屋から特設野外ステージの向こう側は見えない。秋山は死亡現場を保存するよう指示し、すぐさま地元警察署と駐在所へ連絡して山田勇作の死亡状況を説明した。
「わかりました。規制線を張って立ち入り禁止にするんですね!」
地元警察署からの指示に秋山はそう答え、
「奥山支配人!我々のスタッフが河原で石に頭を打って死んだ!
駐車場のパイロンを貸してくれ!現場に規制線を張る!」
指示されたとおり奥山館の奥山支配人に室内電話で連絡した。
「わかりました。パイロンとロープを玄関に用意します!持って行ってください!」
「ありがとう!感謝する!」
秋山は撮影スタッフとともにパイロンとロープを持って現場に駆けつけた。
国道から奥山川の河原に下りる階段に到着すると、
「ここに人を入れないようにするんだ!」
秋山はスタッフに地元警察署の指示を伝えて、河原に下りる階段に規制線を張り、集まった野次馬を排除した。
山田勇作は、奥山川の対岸に柱状節理の岩壁を見る特設野外ステージの向こう側で、河原の身の丈ほどの大石と大石の間の増水した水の中に倒れていた。その位置は特設野外ステージから三メートル以上離れている。大石には靴の滑った跡があり、その少し下方に、髪が付着した血痕混じりの皮膚がこびりついていた。レインウェアのフードを被っていない山田勇作の頭は潰れたザクロのように変形していた。
その頃。
雨の中、断崖に刻まれた奥山渓谷沿いの国道を走った佐介と真理の車が、奥山川の東岸にある奥山館の車寄せに停車した。雨の中、人の群が奥山館前の国道の吊り橋を対岸へ移動している。奥山館からも傘を差した人の群が吊り橋へ歩いている。
車を降りた真理は奥山館に入り、奥山誠支配人に尋ねた。
「何があったんだ?」
「五分ほど前に、河原で人が転んで石で頭を打って死亡したと連絡がありました。
雪山登山で滑落して亡くなる人もいますが、夏に亡くなるのは・・・」
奥山支配人は落ちこんでいる。人が亡くなった事より、それが原因で客が減るのを気にしているらしかった。
真理は奥山支配人に、予約していた飛田だと告げた。
「いっしょに予約した佐伯たちは到着したか?」
奥山支配人は、エキゾティックな真理の容姿からは想像できない言葉づかいに驚いたが平静な態度で答えた。
「はい、佐伯さんは午前中にチェックインしてます。
ついさっき、佐伯さんは現場へ行きました。佐伯さんが県警の方なので、まっさきに事故の報告をしました。
飛田さんが到着したら、撮影の用意をして現場へ来てほしいとの事でした」
佐介は、真理と奥山支配人が話している間に車から荷物を下ろし、カメラケースと雨具とトレッキングシューズを取りだした。いつでも取材できるよう機材と装備は備えてある。
「真理も雨具を着るか?」
「うん。私が傘を差してやるから、サスケは写真を撮るんだ」
真理は靴を履きかえてレインウェアを着た。
「了解」
佐介は靴を履きかえた。カメラケースからカメラを取りだしてレインカバーを装着し、カメラケースに戻してレインウェアを着ながら真理を見た。
「とんだ休暇になりそうだね・・・」
「うん。新聞記者の宿命だな・・・」
真理は傘を取った。佐介は奥山支配人に荷物を指さした。
「支配人。僕らは現場へ行くので、すみませんが、この荷物を預かってください。貴重品は入っていません。このまま部屋に置いてください。
車を駐車場に入れてロックしといてください」
「わかりました・・・」
奥山支配人の表情は暗い。
佐介はカメラケースから『信州信濃通信新聞社』と書かれた腕章をだした。
「真理、社員証は?」
「いらない。これだから!」
真理は背中を示した。黄色いレインウェアの背中に『信州信濃通信新聞社取材班』とある。
「では支配人。お願いします」
佐介は荷物と車のキーを奥山支配人に渡して、カメラケースの肩ベルトを肩にかけた。
「わかりました。気をつけていってらっしゃい」
奥山支配人は真理と佐介を見送り、フロントの係員を呼んで車の移動と荷物を部屋へ運ぶよう指示した。
真理と佐介は国道の吊り橋を渡って対岸から河原へ下りた。
「到着しましたね。待ってましたよ・・・」
野次馬をかき分けて、黒い傘を差したジャンパー姿の小柄な佐伯刑事が真理の前に現れた。大きめの長靴を履いている。小太りで禿頭のお多福が垂れた細目に眼鏡をかけたようなのんびりした風貌はとても刑事に見えない。物語にでてくる田舎教師を連想する。
「遅くなって、すまない、伯父さん。
サスケ!佐伯の伯父さんだよ!」
真理は、現場を撮影する佐介のレインウェアを引っぱった。ふりかえった佐介に佐伯の長靴が見えた。奥山支配人があわてて佐伯に長靴を用意したのだろう・・・。
「早い出動ですね。いつから現場に来てたんですか?」
「ちょうどお昼を食べた後でした。
奥山支配人から連絡があって急いで駆けつけました。
良子は部屋で昼休みですよ・・・」
佐伯は妻の良子が奥山館の部屋にいると話して一瞬、何か考え、そして話しつづけた。
「お二人に協力してもらいますよ。
公式発表するまで事件の報道はしないでください」
「ええ、わかりました」
佐介が返答する横で、真理は、事故ではなく事件だと思った。
「それではお願いしますよ」
佐伯は真理と佐介を連れてパイロンとロープで作られた二重の簡易規制線内に入り、仮設橋を渡って現場の河原へ歩いた。
現場に着くと、佐伯はズボンのポケットから手帳とボイスレコーダーを取りだして録音を開始した。すでに現場にいる二人に警察手帳を見せて、県警本部の警部と告げていた。
「お待たせてして、すみませんね。もう一度、訊きましょうか。
発見者は?地元の警察署へ通報したのはどちらですか?」
「はい、秋山さんが通報しました。発見したのは私です。
私はアドイベント企画を経営する安西肇です。現場のプロディーサーをしてます。
こちらはカメラマンの秋山秀一さんです」
安西肇は佐伯に挨拶し、秋山秀一を示している。
「秋山秀一です。現場の管理は安西さんに任せています」
秋山は丁寧に佐伯に挨拶した。
「撮影現場の特設野外ステージを作ったのは、私たちアドイベント企画です。
私たちが現場管理を担当してます」
安西は何か思い詰めた様子だ。
「では、亡くなった方の事と、ここで亡くなるまでの事、亡くなった方を発見した経緯と、発見時の事を説明してください・・・」
「亡くなったのは山田勇作です。私が経営するアドイベント企画のスタッフです。
仕事は・・・」
安西は、朝の打ち合せ後に山田勇作がどのようにしてここに来たか、秋山の説明を交えて語った。
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