1766人が本棚に入れています
本棚に追加
/373ページ
パンをもう一口食べようとしたとき
カツ、カツ、…と、甲高い靴音が聞こえてきた。
長居さんのものとは思えない。
これは、例えば女性のハイヒールみたいな…
「…!」
そこまで思い至って、私はハッと顔をあげた。
「…亜佳梨…!」
足早にこっちに向かってくる女性。
髪も服も、少し乱れてよれている。
格好なんて構わずに急いでやって来たという感じだ。
疲れきった…だけども強い眼差しで私を見つめ、駆け寄ってきた。
「…お母さん…っ…」
「亜佳梨…っ! ごめんなさいね、心細かったでしょう?」
椅子から立ち上がり、お母さんと抱き合う。
お母さんの体からは、いつもの香水ではなく、かすかだけれども汗の匂いがした。
それだけで涙腺が一気にゆるみ、私はしゃくりあげる。
お母さんの手が、いたわるように私の背をポンポンと優しくはたいた。
「…お、お母さん…」
「もう大丈夫よ。よく頑張ったわね。あとはお母さんたちに任せて。
お父さんも帰ってきてるの。今、少しここのスタッフさんと話しているけど、すぐにこっちに来ると思うわ」
お母さんの言葉通り、お父さんは数分もしないうちに来てくれた。
やっぱり少し疲れた雰囲気だったけど、私を見ると『亜佳梨』といつもの落ち着いた優しい声で呼び掛けてくれる。
「…お父さぁん…」
私の身体からそれまでの緊張や疲労が少しずつ抜けていく。
お母さんは、脱力し床に崩れそうになる私を、そっと支えてくれた。
―――だけど次の瞬間。
今度は私だけでなく、お母さんもお父さんも、身体を固くして緊張をあらわにした。
廊下の奥の扉が開き、手術着に身を包んだ男の人……おそらく、おばあちゃんの処置をしてくれたお医者さんが出てきたのだ。
最初のコメントを投稿しよう!