阪口さんの好きな人

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パンをもう一口食べようとしたとき カツ、カツ、…と、甲高い靴音が聞こえてきた。 長居さんのものとは思えない。 これは、例えば女性のハイヒールみたいな… 「…!」 そこまで思い至って、私はハッと顔をあげた。 「…亜佳梨…!」 足早にこっちに向かってくる女性。 髪も服も、少し乱れてよれている。 格好なんて構わずに急いでやって来たという感じだ。 疲れきった…だけども強い眼差しで私を見つめ、駆け寄ってきた。 「…お母さん…っ…」 「亜佳梨…っ! ごめんなさいね、心細かったでしょう?」 椅子から立ち上がり、お母さんと抱き合う。 お母さんの体からは、いつもの香水ではなく、かすかだけれども汗の匂いがした。 それだけで涙腺が一気にゆるみ、私はしゃくりあげる。 お母さんの手が、いたわるように私の背をポンポンと優しくはたいた。 「…お、お母さん…」 「もう大丈夫よ。よく頑張ったわね。あとはお母さんたちに任せて。 お父さんも帰ってきてるの。今、少しここのスタッフさんと話しているけど、すぐにこっちに来ると思うわ」 お母さんの言葉通り、お父さんは数分もしないうちに来てくれた。 やっぱり少し疲れた雰囲気だったけど、私を見ると『亜佳梨』といつもの落ち着いた優しい声で呼び掛けてくれる。 「…お父さぁん…」 私の身体からそれまでの緊張や疲労が少しずつ抜けていく。 お母さんは、脱力し床に崩れそうになる私を、そっと支えてくれた。 ―――だけど次の瞬間。 今度は私だけでなく、お母さんもお父さんも、身体を固くして緊張をあらわにした。 廊下の奥の扉が開き、手術着に身を包んだ男の人……おそらく、おばあちゃんの処置をしてくれたお医者さんが出てきたのだ。
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