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老女は、棚から取り出したコップに、ひと摘みの茶葉を入れると、おもむろに暖炉へと歩み寄った。
火にかけていた鉄瓶を手に取り、熱い湯をコップに注ぎいれた。
「毒なぞ入れとらん。飲め」
目の前に出されたコップから、香ばしい湯気が立ち昇った。
向かいの椅子に座った老女を警戒しつつ、熱いコップの縁に口をつけ、 恐る恐る、茶をすすった。
緑茶でも紅茶でも無い、その不思議な味がする茶は、とても香ばしく、後味はさわやかで美味しかった。
それに、とても懐かしくさえ思え、心が安らいだ。
「……」
老女は、ぼくが茶を飲む間、じっとこちらを観察しているようだった。
茶の味を気に入ったのが分かると、老女は口を開いた。
「カラスエンドウの野草茶さ」
老女の言葉尻が、少し優しくなった。
「カラスエンドウ……」
「そうさ、お前が今朝、目覚めた広場に、自生していただろ?」
その言葉で、ぼくは何をしようとしていたのかを思い出し、立ち上がった。
「教えて下さい、ここはいったい、何処なんです? 出口が見つからないんです! でも、自分がどうやって、ここに来たのか思い出せない。早く家に帰らないと、両親が心配してしまう」
老女の表情が曇った。
「一度に質問するんじゃないよ。あたしが、おしゃべり好きの十八の少女に見えるかい?」
「す、すみません。でも、ぼくは早く家に帰りたいんです」
「……家? それはどこの家のことだい?」
「それは……」
ぼくは青ざめた。
確かに今朝、目が覚めた時には、はっきりと覚えていたのに、自分の家が何処なのかを思い出せなくなっていた。
「えっと、高層ビルが建ち並ぶ大きな都市があって、そうだ、そこから少し離れた郊外にあるマンションだったような」
あやふやな答え方をしたぼくに、老婆が更に問うた。
「両親といったが、名前は? 顔は思い出せるかね?」
「えっ?」
もちろん、思い出せるはずだった。
はずだったが、大きな肩をした男の姿と、髪の長い柔らかい感じのする女性のイメージが浮かんだだけだった。
はっきりとした顔も声も、思い出せない。
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