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ばらばらと、音を立てて小銭がカウンターに落下した。
そのいくつかは、更に床へと転がって、そう遠くない場所で小さな弧を描いている。
思わず取り落としてしまったのは、返す予定の釣りだった。
(…いま何言った…? この人……)
なのに俺は動けない。
だって直前に告げられた言葉が、あまりにわけが解からなくて。
それにこの、耳元に吐息が掠めるような距離だって、どう考えても単なる店員と客の距離じゃない。
本当なら、すぐにでもお金を掻き集めるか、そうでなければ、もう一度レジから同じ金額のお釣りを返さなければならなかった。散らかった硬貨はそのあと拾うことにして。
だけど俺は、そのどちらの行動にもすぐには出られなかった。
仕事にはもう慣れたつもりで、少なくともいつもならそれくらい何でもないことだったのに。
「あーあ、何してくれんの」
と、そんな俺の様子に呆れたのか、目の前の男は苦笑混じりに溜息を漏らし、存外あっさり身を引いた。
そして自らの足元に散乱している小銭を一枚だけ拾い上げると、他は全て放置して店を出て行った。
支払いを済ませた商品だけは、いつの間にかその手にぶら下がっていた。
だけど個別に紙袋に入れるつもりで除けていたある商品だけは、カウンターの端に残ったままだった。
「…ぅわ! ちょ、これ……っていうか釣り!」
暫く呆然としていた俺だったが、それをふと目に留めると、途端に時間が動き出した。
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