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家のドアに手をかけると、俺の帰宅を想定してか、鍵はかかっていなかった。
案外すんなり開いたドアに、少し気が抜ける。
「ただいま」
何となく遠慮がちにそう声を掛けてから、玄関に足を踏み入れる。
ふとそこで、玄関先に、俺のものではない靴がそろえられているのに気付いて、少し頬が緩む。
「……直人?」
玄関のドアが開閉した音で、俺が帰宅したことに気付いてもおかしくないはずなのに、彼が一向に姿を現さないことに、俺はちょっと緊張した。
(……俺、何か怒らせたか?)
咄嗟にそんなことを考えてから、身に覚えがありすぎて戸惑う。思い返せばあれもこれも直人を怒らせる材料になりそうで……。でも決定打は思いつかなくて……。
足音を忍ばせてキッチンを横切った俺は、リビングとの仕切りになっている引き戸をそっと開けた。
部屋の中に電気はついていなくて――でも、窓から差し込むレース越しの薄日で、仄かに室内は明るかった。
その部屋の陽だまりの中、直人はソファに横たわっていた。
それを見た途端、一週間ちょっと前の光景――直人が高熱で倒れたとき――が脳裏を過ぎって、俺は慌てて彼の傍に駆け寄った。
しかし……。
近付いてみれば直人は気持ち良さそうに寝息をたてているだけで。
(寝てるのか……?)
その事実にホッとして力を抜くと、無防備に眠る直人の顔を見詰めた。
「上に何もかけないで寝ちまって……。また風邪がぶり返すぞ」
退院直後の人間が言う台詞じゃないが、そんな風に思ってしまったのも事実だ。
寝室から毛布を取ってきて上にかけてやると、その気配に直人が身じろぐ。
その瞬間、俺の鼻先を直人の吐息が掠めて……俺は思わず動きを止めた。
眼前で、薄く開かれた唇が酷く蠱惑的で――。
俺は吸い寄せられるように直人に口付けた。
そうしながら、手は今かけたばかりの毛布の中に潜り込む。
直人が目を覚ましたら驚くだろうな。
いや、それともやっぱり怒るだろうか?
手に吸い付くような、直人の滑らかな肌の感触を楽しみながら、俺は頭の片隅でそんなことを考えていた。
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