第1話

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 速人は除隊の手続きをするために最後に駐屯地に行った日のことを思い出した。あれは確か全て終わった帰り道のことだった。ここに来るのも最後か、と思い正門前の喫煙スペースで煙草を吸っていた時、速人の訓練教官だった曹長に会ったのだ。偶然を装ってはいたが、明らかに嘘だった。その教官は厳しい人だったが、公平な人物で、訓練時にはかなり世話になった。怒鳴られたことは数え切れないが、いじめられた記憶は全くない。古き良き下士官。奥さんとののろけ話をよくする人だった。 「おう、久しぶりだな」  いつも挨拶は簡潔だ。 「お久しぶりです。曹長」 「辞めるそうじゃないか。まあ、色々あるだろう。お前のような男がいなくなるのは少し寂しいがな。まあ元気でやれよ」 「はい、曹長もお元気で。色々お世話になりました」  煙草を消し、その場から立ち去ろうとする速人の後ろ姿にもう一言やってきた。 「俺がお前らに教えたこと、覚えてるか? 馬鹿でも覚えられるように一つだけ忘れるな、と言ったことだ」  速人は振り返り、絞り出すような声を出した。覚えてる。そして俺たちは実践したさ。 「戦い続けろ、ですよね」 「覚えていたか、お前にしちゃ上出来だ。そしてだな、お前らはよくやったよ。本当に」 「どうでしょうか? 今はなんとも。いつそう思えるのかもわかりません」 「お前は昔から可愛げの無いことばかり言ってたよ。死んでいった仲間のことは忘れられないだろうが、その原因はお前のせいじゃない。いいか、お前のせいじゃないんだ。お前はまだ若い。まだこれからなんだ、言ってること、わかるな」  ただこれだけの会話をするために待っていてくれたのだ。もっともっと話したいことはたくさんあった。でも二人ともわかっていたのだ。今はその時期ではないと。それきり曹長には会っていない。  俺のせいじゃない、か。みんなにも言われた。自分でも言い聞かした。俺のせいじゃない。こういう状態になっている人間が自分一人ではないことも知っていた。世界中で何人いるだろう? あのくそったれなカニどものせいで。
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