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「待って、ほんとうに待って、だめ、だめだって!!」
叫んでも叫んでも、一向に止まってくれない。目の前の男の足の速さに、己の足の遅さと体力のなさをずっと嘆き続けている。
「もっとはよ走れ!命かかっててそれか。火事場の馬鹿力っちゅうもんがお前にはないんか。あほか」
あほはどっちだと言いたいがそれどころではない。
「止まって。と、とにかくそれ返せ。お前死にたいのかよ」
「死にたくないから走っとんねん。お前のその足の遅さやったら、関係ない人何人殺すことになる思うてんの。あほちゃうかお前」
「あの、もう、ほんとに、とりあえずそれ渡してくれれば、何も起こらないから」
「それでええんか」
目の前を走っていた男が急に止まる。やっと止まってくれた。空気が足りない。声が出せない。足が痛い。もう全部痛い。
「何も起こらないけど、終われもしないんやぞこのままやったら」
「とっ、とりあえず、終わり方はその箱を持ってから考える、だ、だから、返せそれ」
やっとの事で声を出す。
―ピッピピ、ピッピピ、ピッピピ、ピッピピ、
ああ、あの音だ。もうすぐ来てしまう。
狙いは定まっている。箱を持たないと、あの男が抱えている箱を俺が持たないと。
目の前の男はむすっとした顔で箱を脇に抱えて立っていた。アラーム音の中、なんとか差し出す俺の手に、目の前の関西弁の男はしぶしぶ箱を渡す。
遠くで飛行機が通り過ぎるような騒音が響いていた。
箱を盗まれていた。
何時間もわけのわからないまま走り続け、体力の限界を迎え、精神的にももう何もかも嫌になってしまい、本当の意味で終わらせようと、俺の人生そのものを、ここでこの箱と一緒に終わらせようと思っていた。
そしたら箱を盗まれた。目の前のこの男にだ。
絶対に手放すなといわれた箱を、自らの意志で手放そうと覚悟を決めていたところに、自らの意志とは関係のない男が箱を俺から完全に手放させてしまった。
「どうせ手放そうとしてたくせにぃ?」
「俺が手放して終わることに意味があったんだ。人に盗られるのは予定になかったんだ」
「どっちも手放すことに変わりない」
「だけど、違うんだ。自分で箱を手放すことに意味が」「そんなん知らん。あほか」
何回俺はこいつにあほ呼ばわりされているのだろうか。
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