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雪菜さんへの後ろめたさ……
家族として受け入れられた毎日がこの上なく幸せで、
いつか雪菜さんへの罪悪感を完全に失い、得られる幸せが当然に感じてしまう事が怖い――。
強さと優しさが混在する透き通った瞳に心を見透かされている様で、返す言葉が見つからずに口を噤んだ。
「正臣がどうして咲菜を雪菜ちゃんに会わせないのか、分かる?」
杏奈さんは花弁を失った紫陽花の葉に目を向けて、重々しい表情で私に問う。
「え……、先生は咲菜ちゃんを混乱させないためだって…。先生の中で雪菜さんをまだ許せない気持ちがある……とか?」
「正臣は、麻弥ちゃんに惹かれた事でとっくに雪菜ちゃんを許してる。だけどそれは、浮気をされた『夫』として許しただけ。『父親』としての正臣は、一生雪菜ちゃんを許さない」
「一生……許さない?」
「雪菜ちゃんは、子供を置いて男に会いに行った時点で母親であることを放棄したの。欲望のために子供への愛情を放棄した女に、母親と呼ばれる資格は無い。夫として妻を看取っても、雪菜ちゃんを母親として咲菜の記憶に残すつもりは無いのよ」
まるで雪菜さん本人に言い渡す様に、杏奈さんは紫陽花の丘を一点に見つめる。
『母親と呼ばれる資格は無い』―――厳酷な口調でそう言った言葉は、きっと杏奈さん自身が雪菜さんに言い下した言葉なのであろう。
先ほど病院の前で見せた、雪菜さんに対する冷然とした態度が思い出される。
私の心に覆い被さる複雑な思い。
心臓がギュッと握り潰されるように痛くなる。
「私は、杏奈さんが言うようないい娘なんかじゃありません」
「え?……」
「正直に言ってしまうと、咲菜ちゃんにとっての母親は私だけで良いと思ってる。先生に愛されているのが私だけなら良いと、愛情の独占を願ってるんです」
「麻弥ちゃん……」
「事故の事だって、心の底では自業自得だと。私が遠慮する事は無いんだと、そう思ってる。だから…怖いんです」
心苦しくなって、膝の上に置く手をギュッと握る。
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