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「どうだろう……肺炎を疑ってステロイドで様子を見てるけど、肺の機能も低下してるし体も弱ってるから。直ぐには下がらないかも知れないな…」
先生は目を細めて言うと、再び新聞に視線を落とした。
私がキンモクセイを届けた日の五日後、雪菜さんは38℃台の発熱をした。検査の結果、間質性肺炎が疑わしいと言う事で治療を始めているが……
長い療養生活で体力と抵抗力が衰えている事と、事故により肺の一部が損傷している事から、一度肺炎を引き起こすと治癒に至るまで時間がかかると言う。
「雪菜さん、大丈夫かな……」
洗い終えた食器を水切り籠の中で並べながら、ポツリと声を落とした。
「……」
束の間の沈黙が降り下りる。
「……先生?」
彼からの言葉を待っていた私は顔を上げ、新聞に視線を置いたままの彼を不安げに見る。
「適切な治療をしてくれてる。心配はない」
「う、うん。そうだよね…」
「それに、今までも発熱は何度も繰り返してる。治るのに時間は掛るが、珍しい事じゃ無い」
彼は言い終えると文字から目を離し、眉を八の字に下ろす私を見て優しく微笑んだ。
「それより麻弥。時間は大丈夫か?」
先生が掛け時計を指差して、キッチンに突っ立つ私の視線を時計の針へと誘導させる。
「うわっ!もうこんな時間!行かなくっちゃ!」
慌ててダイニングに戻るとエプロンを外し、それを食卓の椅子に掛ける。
「あ、咲菜ちゃんの歯磨きだけお願いします。さっき歯磨きの後にこっそりチョコレート食べてたから」
「はいはい」
「あと、寝室の窓が開いてるから戸締りもお願い!」
「はいはい」
パタパタとスリッパの音を立てる私を眺め、彼は涼しげな顔をして笑みを浮かべている。
「咲菜ちゃん、マーヤはお仕事に行ってくるよ。夕方迎えに行くからね。じゃあ、行って来ます」
バッグを肩に掛け、テレビの前に座る咲菜ちゃんに手を振った。
「マーヤ、いってらっしゃ~い!」
先ほど履いたはずの靴下を手に持って、咲菜ちゃんがそれをブンブンと振る。
「行ってらっしゃい。また後で」
先生は私を見送りながらそう言って、残りの珈琲を口に運んだ。
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