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そんな―――
雪菜さんの血圧が既に60台に下がって来ているだなんて。
昨日から血圧と心拍数が少しずつ落ちていた事も、ほとんど尿が出ていない事も、先生は一言も私に言わなかった。
今朝、私と話している時に顔に走らせた悲しげな色は、近々こうなる事を予測していたから?
先生には雪菜さんの最期が見えていたの!?
猛スピードで私服に着替えた私は、ロッカーの扉を勢いよくバンッと閉めて、忙しく襟元を直しながら更衣室を飛び出した。
先に見える長い廊下に目を凝らすが、こちらに向かって歩いて来るナース達の中に香川さんらしき人影は無い。
「香川さん……」
人知れずため息を落とす。
本当に雪菜さんに会わないつもりなの?
今日が最期になるかも知れないのに…二度と会えなくなるかも知れないのに…
『私は雪菜を看取る資格なんて無い』――掠れた声でそう言って、怯えたように顔を歪めた彼女の表情があまりに痛々しくて、その姿が脳裏に焼き付いて離れない。
過去に犯した罪を心から悔やんでいるのなら、
昔と変わらない友情が少しでも残っているのなら、このままじゃ駄目だ。
杏奈さんが私に言ってくれた言葉―――雪菜さんが刻む時間は止まってしまったけれど、私の時計の針は一秒毎に未来に向かって動いているって。
それは、香川さんも同じこと。
香川さん……
自分の時計の針を止めてしまわないで。
雪菜さんから、自分自身から目を背けないで。このままでは、残されたあなたの時間まで闇に包まれてしまう。
「……待ってるから…必ず来て。香川さん」
急ぎ足で正面玄関に向かう私は、病棟に続く廊下に視線を向け祈るように言葉を落とした。
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