25人が本棚に入れています
本棚に追加
怒りと、悲しみの混ざった眼差しを真っ直ぐにむけて、このふざけたことを口にする男を殴ってやりたいと。心の底からそう思った。
「…ピアノは…弾けないんだ…!」
しばらくそうしてから、やがて吐き捨てるようにそう口にすると、僕は彼の服を掴んでいた手を離し俯く。
死んだとしてもピアニストだ。やはり手を乱暴に使うことなどできやしなかった。
「放っておいてくれ…」
小さくそう呟いてから、僕は彼に背を向ける。
すると間もなく、くすりという笑い声が背後から聞こえてきて。
「うるさい!何がおかしいって言うんだ!」
人の気も知らないで、この男は笑うのか、と。
怒りを覚えて、僕はもう一度振り返った。
すると思いのほか近くに彼がいて、不覚にも一瞬ひるんでしまう。
そうしているうちに、彼は僕の手を掴み掬い上げて
「やめろ…!」
「君には、この手が壊れて見えるのかい?」
「なっ…」
私の服を掴んでいたじゃないか、とからかうように笑みながら持ち上げられた己の手は。
「…私のことは”人形師”とでも呼んでおくれ。…パパでもいいけど」
くすりと笑みを零した人形師は、自分の手を見ながら固まっている僕の手をそっと離してから、ゆっくりとした足取りで窓の方へ向かっていく。
「…君は、新しい器を手に入れたんだよ。直斗君」
窓にたどり着くと人形師は優雅な手つきで窓を開け、途端閉じていた部屋に一気に風が流れ込む。
そこで初めて、ここが部屋の中で、窓があることに気がついた。
そして、窓に手をかけたまま振り返ると、未だ自分の身に起こった出来事を処理しきれていない僕に楽しげな笑みを向け
「おめでとう。今日が君の新しい誕生日だよ。…存分に楽しむといい…なにせ…」
──時間は無限にあるのだから…。
正直、状況は理解しきれていない。
しかしそれは、この人形師とかいう男が教えてくれるのだろう。
それでも僕は、その言葉に一つだけ確信した。
ああ…僕はまた、ピアノを弾ける。
そう思った瞬間、自然と口元に笑みの形が刻まれた。
─終─
最初のコメントを投稿しよう!