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丹後の国、今の京都府の日本海側にある古い城下町から、数キロ山に入った所に、阿弥陀寺と呼ばれる古刹がある。この阿弥陀寺には、「阿弥陀寺の七不思議」なる伝承があって、そのうちの「打たずの鐘」にまつわる悲しい話が伝わっている。
阿弥陀寺には今も、立派な鐘撞き堂がある。鐘の銘文には「永禄三年」とあるから、戦国時代に造られた事がわかっている。さらに銘文には領主である結城弾正が亡くなった母親の供養に鐘を造立したとある。しかし、事実は違うらしい。郷土史研究家等によると、一揆を未然に防ぐための武器の供出が本当の目的であったようである。
この寺の下を深瀬川と呼ぶ一本の川が流れている。川は寺の下を通って、城下へと流れている。
この深瀬川の河原に、うなぎ掻きをしている平太と言う男が妻の万と二人で暮らしていた。万は非常に美しく、その美しさは近在に聞こえていた。
ところで、この村には、近郷十八カ村を束ねる大庄屋の八兵衛なる豪農が屋敷を構えていた。この八兵衛は強欲で、また、色を好んだ。
ある時、お城からの使いが八兵衛のもとに来た。
今度、亡くなられた領主結城弾正の母親の供養のために鐘を鋳造することになり、ついては、各家から、鉄を出すようにとの命令だった。鉄は包丁であれ、刀であれ、形は構わぬとの事だった。
八兵衛は早速に人を遣って、各家に鉄を出すように命じさせた。その使いは河原に住まう平太と万のもとにも来た。使いの口上を聞くあいだ、二人は平伏して黙って聞いていた。使いは言うことだけ言い終えると、
「しかと、心得よ」
そう、言い残して帰って行った。
使いが帰って行った後で、平太と万は狭い小屋の中を見渡した。
貧しい家のこと、どこにも鉄などは無いはずだった。
しかし、二人の目が同時に止まったのは、日頃、平太がうなぎ掻きに使う、「うなぎ掻き」と呼ばれる棒の先にあたかもうなぎのようにくねった鉄が付き、その先端には三本の鋭い針がついた道具だった。平太はその「うなぎ掻き」で、うなぎを絡め捕って、うなぎや鯰などを売って、細々とつましい生活をおくってきた。
平太の家にある鉄と言えば、その「うなぎ掻き」しか、無かった。しかし、その「うなぎ掻き」を取られては、二人が生きて行くことはできなかった。
二人は顔を見合せ、悲嘆に暮れた。
数日して、再び、使いがやって来た。
「申し訳の無いことでございます。
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