負け犬の凱旋

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 労働とは時間の売買である。  雇用者が労働者の人生という時間、もとい商品を受け渡しすることで結ばれる契約だ。  時は金なりという言葉があるよう、己の時間という商品を提供している時点で金銭は支給されるべきであり、実績、実益、貢献率というのは二の次なのだ。  ましてや、それに付随して生まれる失敗に対しペナルティとしての減給という処置はもっとも愚かしく、糾弾されるべき風習だといえる。  繰り返して言うようだが時は金である。  時間は金に換えられる。だがしかし金は時間に変えることはできない。  過去、未来を金で買える世界が生まれてしまえばその時点で銀行券の価値は暴落することは想像するに難くはないからだ。  したがって、いかなるペナルティだったとしても時間を払った労働者に対し金銭を取り上げる行為は悪だといえよう。  このことから雇用者は悪であり、その被害を被っている労働者は弱者なのだ。  弱者は虐げられ、悪は粛清されるのが世の常である。  いかなる成功を収めた経営者であろうと労働者を雇用している時点で例外なく悪と言えよう。  悪と弱者。  そうだとするなら真の意味での勝者とは一体なんだというのか。  この不純理な世界においての勝利とは一体何のか?  その答えは単純明快である。  結論から述べよう。  世に存在する未来ある若人どもよ――。  ――働いたら負けだ。  
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