第一章 籠の中の記憶探偵

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■六月四日 午後四時  音楽室の扉を開けた瞬間だった。  首を吊った死体が、俺――天海慶次(あまみけいじ)の目の前にぶら下がっていた。  天井から延びたロープから垂れ下がっているのは、力の抜けた男の四肢。  もちろん足は宙に浮いている。  首の骨が折れているのだろうか。死体は奇妙な角度で頭(こうべ)を垂れ、上目づかいとも言えるような顔を俺の方に向けていた。  最初に感じたのは恐怖でも混乱でもない。頭が真っ白になる感覚だ。  続いて、ようやく動揺が襲い掛かってくる。  目の前の光景は夢でも幻覚でもない。間違いなく現実だ。  今にも眼窩からはみ出しそうに飛び出た、暗く光の無い瞳。  俺をじっと見つめる、異形の眼差し。  足が動かない。首が動かない。  このまま死体に魂を引きずられ俺も死んでしまうのではないだろうか。  混乱が妄想を呼び、妄想が錯乱を引き出し、意識が遠くなる。  その時だった。 「どうしたの、ケージ?」  聞き慣れた女の声が引き金となり、ようやく俺の体が硬直から解き放たれた。  振り返ると、女の顔。  小顔で化粧気が薄い顔立ちに、ぴんと外側に跳ねたミディアムロングの癖っ毛。そして、猫を思わせるやや釣り上がった大きな瞳。  友人の風間祈衣(かざまきい)が、俺の顔をじっと覗き込んでいた。 「人が……人が死んでるんだよ!」 「困ったわね。このままじゃ練習できないわ」 「そう言う問題か!?」  思わず叫ぶ。変わり者だと言う事には気付いていたがここまでとは思わなかった。 「文化祭まで後三カ月。部員もわずか三人なのにどうしよっか」 「いや、どうしよっかじゃないだろ」 「しかも、もう一人の部員なんてまだ来てないし」 「まぁ、黒川(クロ)は遅刻常習犯だからな。ってそうじゃない! 死体だよ死体!」  二学年下の後輩の顔が一瞬、目に浮かぶ。  だがそんな事は今はどうでもよかった。問題は俺達の目の前に死体がある、という事実なのだから。 「冗談冗談。分かってるわよ。高校生探偵の出番って言いたいんでしょ?」  叫ぶ俺に対し、風間が放ったのは現実離れした発言だった。  高校生探偵。  風間祈衣という女はミステリやサスペンスものが大好きで、ことあるごとに探偵を自称している。
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