【3】 出合い

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その日の夜、幸子は夢を見た。 彼女の前を、彼が軽やかに走って行く。 幸子は足の速さが自慢だった運動会での徒競走やリレー競技では誰にも負けたことがない。 「さっちゃん、がんばれ!」 旧友からの応援は何より励みになったし、必ず応えられる自信があった。事実、彼女の足について来れる同級生は女子の中にはいなかった。 誰かの背中を追って走るなんて、初めてのことだ。 駆け足なら誰にも負けないのに、悔しい。 幸子は必死になって走った。 彼は言う。 君は僕に敵わないよ、どんなにがんばったって無駄だよ。 だから、野心を持つのはお止め。 さっさとどこかへ嫁に行くといい。 何なら、僕がもらってやろうか? ――ふざけないで! 叫びたいけど、彼には届かない。 くやしい。 私、あなたにだけは絶対負けないんだから! じたばたと足を動かしていたんだろう、その駆け足で目が覚めた時、夜が明けていた。 おはよう、と言って台所へ降りてきた姪の顔を見た小母は、ぎょっとした顔をする。 「どうしたの、こわい顔して」 幸子の顔は、まるで鬼瓦のように強張ったものになっていた。 「だって、これから戦いに出るんだもの。気合いを入れて引き締めているの」 「まあ、勇ましいこと」 幸子用の茶碗に麦ごはんをよそいながら、小母は言う。 「でも、もう戦争は終わったのに。勝ち負けだけが全てじゃないでしょ、さっちゃん」 「流される一方はイヤだもの」 箸を動かしながら幸子は答える。 「バカ利口になってもいいのよ、人生は」 「はいはい」 ごちそうさまをして、ぱたぱたと小走りに鏡台の前へ行き、身だしなみを何度も確認した。 服は清潔で手入れをちゃんとした。髪もきちんとまとめた。 化粧はいらないと思ったけれど、女の最低限の身だしなみよ! と小母に強く言い切られ、仕方なしに軽く白粉をはたくぐらいに留めた。 靴もちゃんと磨いてある。靴下も伝線ひとつない。 持ち物にも忘れ物はない。 完璧。 どう? と見せに行った小母も肯定のうなずきをくれた。 「昨日以上にスキのひとつもなくて。――幸子ちゃんらしいわ」 「うん、ありがと。行ってくるわね。夕ご飯の頃には戻ってます」 「まあ、今日は顔合わせなのでしょう? 他の学生さんとゆっくりお話ししてらっしゃいな」 「――そんなお友達、きっとできないわ」 幸子はひらひらと手を振り、小母の家を後にした。
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