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「学校はどう? 慣れた?」
そこまで言って、相手は書き物の手を止めた。
武幸宏というのだっけ。
昨日紹介された名前を思い出す。
「わからないところがあったら案内するよ」
顔を上げた相手と、幸子の視線が真正面から絡む。
目が大きい。
男の人というより、やっぱり少年のような顔立ちだ。
朝日が昨日のように髪に照り映え、やわらかな色を添える。清廉な印象を醸す人だ、黙っていてくれるのならいくらでも顔を眺めていたい。
けれど。一昨日のワンシーンが彼女の頭の中を廻る。
僕と付き合わない? と、この顔が言ったのだ。
不良なのよ、この人は!
幸子は反射的にこう言っていた。
「せっかくですけど、足りてます。あなたの案内は無用だわ」
「かたいなあ」
幸宏はさらっと言う。
「頑なな女はかわいくないよ」
「かわいくなくて、結構だわ」
幸子は彼が座る席から一番遠い席を選んで座り、筆記具とノートを出した。
廊下の向こうから、規則正しい靴音が響く。
「おはようございます」
今度は立ち上がって挨拶ができた。
腹が立つことに、幸宏と席を立つタイミングも、挨拶の声を出すそれも、まるで示し合わせたように合っていた。
もう! 嫌なんだから!
会釈する柊山と顔を合わせた、どうだ、と打診するような目付きに内心でムッとし、気付かないフリをした。
柊山の研究室には、幸子と幸宏以外にも所属する生徒がいる。移籍して間もないという柊山は、抱えている生徒は少なかった、助手もいなかった。
指導教官より遅れて、二、三名の学生がばたばたと入って来る。皆、口々に「遅れまして」と詫びの声を上げる。都電が、バスが遅れました、と一様に口にした。
そんなの、あらかじめわかっていることだわ。見越して早く出てくればいいだけのことなのに。早起きの習慣は見に染みついたもの、小学校時代の始業時間の早さと校長教頭達の言葉にしない圧力の賜物。妙なところで変なことが身を助けることもあるのね。
遅れてきた彼らと、改めて顔を合わせ、自己紹介をする。
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