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◇ ◇ ◇
幸子が大学への入学を決めたのは、彼女が敗戦を東京で迎えて日が浅い頃だった。
心配して訪ねて来てくれた、増沢家に連なる小父に強く勧められたからだ。
彼女の最初の結婚で起きた一連の顛末を「君は悪くない」とかばってくれた唯一の人だった。
とても賢くて、公平な人で、そして顔が広い。
「教師を続ける気はないか」
小父に言われた。
確かに小学校の教諭はしていた。けど、ほとんど何の業績も上げられないまま辞めてしまった。
もう一度教壇に立てるかというと、自信がなかった。自分は人の言われるがまま教えてきただけだったから。
でも、もし、人に誇れる職業に就けたら。例えば余人に比べるべくもない肩書きを身につけたら、文字通り、故郷に錦を飾って帰れるのではなかろうか。
私を馬鹿にした人たちを見返してやれる。
つまらない本音は隠して、「勉強し直したい」と訴えた。
まかせなさい、と言ってくれたその人は、彼女が想像した以上の提案をした。大学へ行かないか、と言うのだ。
学校でも首席に近い順位で卒業した彼女のことだ、望めば大学への進学も叶ったかもしれない。
けれど、女にこれ以上の学はいらないという父親には逆らえなかった。教師になれたのは運が良かったとしか言い様がない。けれど――ならない方が良かったのでは……と思う気持ちを止めることができない。小学校での出会いがなければ、彼女が夫になる人に出会うことも結婚することも、たった半日足らずで破談になることもなかったから。
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