第1章

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「誕生日という言葉で思った事」 心屋に存在給という言葉がある。 ずっと、これピンとこなかったのですが、これの基本が、 誕生日を祝うという事かなと思った。  誕生日は自分がこの世に生まれた日。 ただただ生まれたという事実だけがある日。 それを無条件に祝えるかどうか。  誕生日とは先にも書いたけれど、自分がこの世に誕生したという「だけ」の日。  仕事もしていない、給料ももちろんかせいでいない。 お手伝いも人を喜ばせる何か芸があるわけでもない。 だって、新生児だもの。  新生児は、ただ呼吸をして、ウンチとオシッコをして、それも垂れ流しwで、そして、お腹がすいたり不快感を感じると泣く。泣き続け、快適になると、すやすや寝る。 ただただ自分の生きる為に必要な欲求を満たし続ける存在。  ただただ存在するだけの自分。 そこに価値を見出せるか?  でもね、あなたの誕生を誰かは喜んだはず。 ううん、私は親が望まない妊娠で出来た子で喜ばれなかった。という人もいるかもしれない。 私は親に捨てられたって人もいるかもしれない。 うちの親は男の子が欲しかったから、女の子が欲しかったから、親の望んだ性別と違う私は歓迎されなかった存在って思う人もいるかもしれない。  でもね、赤ちゃんて何も出来ない。ただ自分の欲求を表現するだけの存在。 だから誰かがすべてを助けてあげないと、はぐくまれない存在。 今、あなたがこうして存在しているって事は、きっと、誰かがはぐくんでくれたハズ。 何もしない存在をはぐくんでもらった。 何もしなくても、育んでもらえた。その存在に誰かが、ただただ育んでくれた。 だから、みんな存在給を受け取っていいんだね。  今年の誕生日は、自分で自分に存在給をまず払おうと思った朋子でした。
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