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超高層階の住人は変人だった。変態ではない。行為は至って普通。暴力をふるう客や道具を使用する客など、厄介な輩の類いに比べれば。毎週火曜になると部屋に呼び出される従業員が会社にいる。何が気に入られているのかは知らない。なぜか火曜日ではない急な指名で、どうしても都合のつかなかった彼女の代用人員である。仕事は寝物語、読んで字の如し。客が眠りにつくまで、本当に物語を読んで聞かせる。朗読稼業のおかげで、無意味に漢字は得意だ。住人の部屋の窓にはカーテンがない。高層故に外から覗かれる心配がないからか単に無頓着なのか。太った月に照らされて、シーツにくっきりと二人分の影が映し出されている。毎回同じ人物を指名している割りに、骨張った膝枕で文句も言わないのだから、性別はどうでもいいらしい。指定された物語は住人所有、極薄で年季の入った文庫本。幼い姉弟と青年が登場するくだりで、住人は瞳を閉じた。そのまま最後まで朗読を継続する。以前から思っていたことなのだが、登場人物の父親は諦めが良すぎるのではないだろうか。もう一度始めから。文庫を閉じると住人がくぐもった声で囁いた。ある予感。嫌な予感。彼女ではないから眠れないのか。けれども、渡された文庫本のスピンという栞のあかい紐は最終ページにあった。最初に何処からという問いには始めから という答え。会社に業務報告の義務はあるが、客の性癖は従業員間でも建前上、秘匿とされている。住人は眠らないのだ、恐らく。もう一度始めから、を繰り返すのだろう。そうして、もう一度物語は紐解かれる。映し出された重なりあう影が薄くなって、境界を亡くし消えて無くなるまで。
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