第1章

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・問題設定――ものをつくるヒントにするために  クラムボンはいかにして生きのこってきたのか。なぜ変わらず愛されているのか。  どこが変わって、どこが変わらなかったのか。  自分たちのやりたいことを可能なかぎりねじまげずに、しかしメジャーな場所で活動しつづけること、ファンを獲得し、離さずに、あるていど以上「売れる」ことを望む人間は、クリエイターには多いだろう。  クラムボンは、それを実現しているように見える。 「マネしろ」という話ではない。  けれど、ヒントにはなるはずだ。  回り道しながら、じっくりと考えてみよう。 ■菅野よう子とクラムボンがいっしょにやる、に至るまでのふしぎ  2015年に発表された、クラムボン結成20周年シングル「yet」のストリングスアレンジに菅野よう子が参加、と聞いたときには、とても感慨ぶかいものを覚えた。  ちなみに初期は菅野よう子プロデュースで知られた坂本真綾も2015年は歌手デビュー20周年イヤーであり(といってもクラムボン結成は1995年、真綾さんが菅野さん作曲の「約束はいらない」でデビューしたのは96年だからカウントのしかたは違う)、4月25日に行われるさいたまスーパーアリーナの公演では菅野さんとの共演が実現した。  僕が高校時代にリアルタイムで『天空のエスカフローネ』や『マクロスプラス』『カウボーイ・ビバップ』を観ていたときには、クラムボンが菅野さんと組むことになるなんて、想像もしなかった。  もちろん、接点を探せば、ないわけではない。
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