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……少ないとはいえ、それなりの出血だ。そろそろ意識がかすんできた。
湊は無駄だとわかっていながら、骨だけになった手足を動かそうともがいた。しかし、僅かに胴が揺れただけだ。
(死にたくない)
それが本能なのだと、はっきり自覚している。
むち、と音がして、顔のすぐ横に大きく肥え太った『やつ』の存在を感じた。
(いやだ。死にたくない)
虫は次にどこを食べようか、考えあぐねているようにも見える。もちろん、本能しか持たない生き物なのだから、そんなはずは無い。獲物を腐らせずに食い尽くすため、その食欲は旺盛であり、性急だ。先ごろ飲み込んだ腕の肉が胃の腑に落ちるまでの時間、本能が待てをかけただけに過ぎない。
それでも湊の目には、その不恰好な蛆が懺悔の時間を待ってくれたように映った。
(ああ、似ている)
小さすぎて、手足すら不明瞭だった胎児の影。白い塊として映っていたあの子に、この虫は良く似ている。
そして今の自分は、胎児だ。小さな穴倉に閉じ込められ、生存本能を軋ませながらも、自分で生命の選択すらできない、あの日の……わが子。
(やはり、お前も……)
生きたいと願っただろうか。安穏の揺り篭から掻き出される瞬間、何を思った?
……似我似我似我……
近くに新しい巣を作ったのだろう。親虫の羽音が聞こえた。
あの呪いは、すでに湊を深く侵している。彼はもうすぐ一匹の虫になるのだ。思考という人間の証を失い、ただ本能に従って機械的に動くだけの、愚かで、美しい蜂に……
ようやく腹がこなれたか、蛆がもそりと身をかがめた。湊の意識はすでに薄い。
(生きたい)
むちり、と肉を食い破る音と共に、湊の意識の全ては、丸々と太った蛆の、腹の底へと、落ちた。
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