第1章

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・中沢新一のどこが間違っているのか?  中沢はキリスト教圏から発達した資本主義と、資本主義を自前では生みださなかったイスラームの経済のありようとを分析する。  キリスト教は父と子と精霊という三位一体という考えがあったので、利子の存在を容認することになり、資本主義を発展させた。  しかしイスラームは厳格な一神教で精霊など認めない。  よって実態的なブツの取引を伴わない、高利貸しの存在は否定される、云々と論じている。  さて、北村歳治/吉田悦章『現代のイスラム金融』を参考にしながら、中沢の問題点を指摘してみますね。 ①イスラム教は利子(リバー)を禁じているが、商売で利潤が発生することは否定してないことがわかっていない  たしかにイスラームは利子を伴う貸し付け(融資)は禁じている。  でもイスラーム法(シャリア)に適合する範囲でのビジネスへの出資は禁じていない。  たとえば、ある事業を計画している人間に対して、損益を共有するかたちで投資することは原則的に問題ない。  不労所得としての利子は禁じられているが、労働から得られる所得は尊重されていて、利潤追求も肯定されてる(それを喜捨のかたちで公共に差し出すことも推奨されてるけど)。  中沢はキリスト教下で発展した資本主義とは違って、イスラームでは価値の増殖が起こらないとか書いてるんだけど、利子がつくカネの貸し借りがなくても、手元にある資金をモノやサービスに変えて、売って対価を得る、という過程があれば利潤はうまれうる。  どう考えても、だ。  それに融資と出資の区別がついてない、あるいは資本家(投資家)=金貸しと思ってるんじゃなかろうか?  デット(借りたお金)とエクイティ(出資されたお金)の区別がつかないなんて……いや、それはまさか、さすがに。ですよね?
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