てんびん

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 川内はベッドから起き上がり、部屋を出て行こうとした。 こんな頭のおかしな男に、付き合ってなどいられない。 「……」  扉を開けた途端、川内は愕然とした。 扉の先には何もなく、ただただ白い壁が立ち塞がっている。    男は冷ややかな視線を川内へ向けた。  諦め切れず川内は窓辺へ行き、窓から外へ出ようとした。  填め殺しの窓は壁のように固く、どんなに強く叩いてもびくともしない。 「さぁ、お座り下さい」    男は、もはや川内を見ることもしなかった。  がさごそとパンフレット状のものを取り出して、目を落としている。 「……一体」    さすがに力なく、川内は呟いた。  まるで状況が掴めない。  男は気に留めず、数枚の用紙をまとめると、川内へ向き直った。 「そろそろ、商談をさせていただいてもよろしいでしょうか?」 「商談?」 「ええ、先程からそう申し上げているではないですか」    男の表情に、食えない笑みが蘇る。 「もしかして、私の葬式ですか? さすがにそれも、死んだ当人には無理があるんじゃ……」  と、川内は男を凝視した。 自分が亡くなっているのが事実なら、この男は一体なんなんだ。 「貴方は、まさか死神、ですか?」  口にしてから、苦い表情を浮かべる。 自分は何を馬鹿げたことを口走っているんだ。 「死神? 違いますよ。私はセールスマンです」  ただし、彼岸のね。  男はことさら優美な笑みを浮かべてみせた。 「貴方様はすでに亡くなられておいでですが、 実はまだ猶予がございまして。 今ならまだ、引き換えに生を得ることが可能なのでございます」  男の口上は滑らかだ。 「引き換え、ですか」 「ええ、等価交換です。そうですねぇ」    男は鞄から新聞を取り出すと、国際面を開いた。  銃を持った若い兵士が数人写る記事には、 海外の紛争と外国部隊の文字が付されている。  男はその中の、ひとりの男を指さした。  精悍な顔立ちの青年だ。 「この彼の生命と、貴方様の生命を交換する、なんていかがでしょう」 「いや、それは」  川内はさすがに戸惑った。  例え知らない相手でも、今後まるで接点のない相手だとしても、 生命を頂くのは別だ。  彼にも家族があるかもしれない。夢があるかもしれない。  それに直接手を下さなくても、間接的な殺人じゃないか。
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