#1 孤島と雑踏と

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雨の日の夕方、駅の構内はいつも以上に殺伐とした雰囲気で。 我先にと改札を目指す群れから、ふいに僕は離脱したくなったのだ。 改札の向こう側を見渡せる柱にもたれて、先程から何度も振動しているスマホを取り出した。 人の波に乗ることすら出来ず、離れ小島みたいな柱の陰で息を潜めている僕は、なんて弱い。 数日前から無視し続けている着信。 それらは全て中野倫子ーーー結婚を約束した人、から。 僕は自信が無い。平凡な幸せを生きる自信が。そんな権利は無いと、過去の僕が嘲笑うから…。 僕は過去を忘却の彼方へと押しやるために、彼女との結婚を決意したはずだった。 それなのに今度は、彼女の存在が僕を苦しめているなんて、皮肉すぎる。 着信を知らせようと懸命に震え続けるスマホを呆然と見下ろし、僕はついに電源を落とした。 自分の居場所へと帰る人々。僕はその列に加われない。温かな場所へ帰る権利はない。 悄然としながら顔を上げた。改札の向こうへと、焦がれるみたいな視線を向ける。 その時、人の群れが不自然に分かれている空間に気付いた。 柱もないのに、そこだけポッカリと空いている。 その空間の中心に、男が立っていた。 ずぶ濡れの男は途方に暮れた様子で、不安定に揺れながら立っていた。 顔を覆い隠す長い髪、薄汚れた季節外れのカウチンニット。 ホームレスか酔っ払いか、いずれにせよ、関わりたくはない異様さだ。 それなのに僕は、彼に親近感を抱いてしまった。どうしようもなく、興味を抱いてしまった。 怪訝な顔をした駅員が、彼を連れ去ってしまう前に、僕が彼を連れ出さなければ。 どうしたことか、このときの僕は、そんな使命感に突き動かされていた。 あんなに躊躇った改札を平然と通り、彼の正面に立った。 不安定に揺れていた理由が分かり、思わず微笑む。 彼は裸足になり、脱いだ靴の上に爪先立ちしていたのだ。 「傘を忘れたの?」 おそらく自分よりは年上であろう彼に、僕は幼児に対するような口調で尋ねた。 今やっと、僕の存在に気付いたらしい彼は、顔を上げると不思議そうに僕を見つめた。 その瞬間、僕の心臓が どこかへ持って行かれてしまった。 髪に隠されていた彼の容貌は、言葉を失うくらいに整っていた。まるで完璧な設計図をもとに造られたかのように、全てのパーツが配置され、そこには寸分の狂いもない。 ようするに、怖いくらい綺麗な顔だ。 かといって、女性的というのでもなく。
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