第一章:白ブラウスの「フランス人形」

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座席の振動で、飛行機がとうとう滑走路を走り出したと知れる。 いよいよ逃げられなくなった。 私は先ほど買ったばかりの小さなテディベアをホワイトグレーのジャケットを羽織った胸にぎゅっと抱き締める。 黒のハイネックを着た首が心なしか締め付けられて感じた。 三十三歳にもなる女が飛行機の座席でぬいぐるみを抱くなんて、傍目には「この女、頭は大丈夫か」と思われるかもしれない。 そのくらいのみっともなさは、頭では分かる。 しかし、この飛行機が今、トランジット地のミュンヘンから飛び立って、本来の目的地に向かうのだと思うと、何か、どうにも逃げ出したい衝動に襲われるのだ。 ティミショアラ。 この名前を見聞きするたびに、曲がりくねった王冠や、ショコラパウダーをかけ過ぎたティラミスを想像してしまう。 むろん、どちらのイメージも語義からは外れている。 これは、ルーマニアの地名だ。 そして、私にとっては、母の故郷でもある。
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