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最初はゆっくりと、少しずつスピードを上げていく。ふと厩のほうに目をやるとベンがこちらを見ていた。大丈夫だと伝えるために手を振ると、ベンは顔をしかめてちゃんと手綱を握れというような身振りをした。
笑い声を上げて柵の中を一周する。次に厩を見たときにはベンはもういなかった。
あんなに馬を怖がっていたのが嘘のように、今では馬に乗るのが楽しくてしかたがない。こうしていると自分が風と一体になったような気がしてくる。サミュエルはベンの言いつけを守り―というか、ミッチェルの言いつけ―を守り熱心に私を目で追っている。
私を見張る以外にもっとやることがあるだろうに。
いくら馬の合わない相手といえど、退屈な仕事を毎日、坦々とこなしているサミュエルをかわいそうに思い始めたとき、何かがちぎれるような異様な音が耳に届いた。
そのあとはすべてがゆっくりになった。
体が傾いて、平衡感覚を失った体が地球に引っ張られて落下していくのがわかったが、もうどうしようもなかった。その間、いつもと変わらない青い空をただ見つめていた。
衝撃を感じる直前、悲鳴が聞こえた気がしたがすぐに目の前が真っ暗になって何もわからなくなった。
「入れ」
ノックの音でミッチェルは几帳面に記された台帳から顔を上げた。
「失礼します」
軍服を着ているというよりは着られているといった風情の若い男が、緊張の面持ちで室内に入ってきた。
「どうした、何か問題でも?」
青年は直立不動で、モノサシのように真っ直ぐ立っているが、目はせわしなく辺りをさまよっている。
「いえ、あの、はい。それが…」
十九ほどに見えるから、恐らく軍に入ってからまだ日が浅いのだろう。
王と一対一で話すことなどめったにないものだから、彼が緊張するのも無理はない。ルシアももう少しわたしを敬ってくれてもいいのだが。
「大丈夫か? すごい汗だ」
「だっ、大丈夫です」
その言葉と裏腹に、青年のこめかみを暑くもないのに大粒の汗が伝う。
「それならいいが…。それで何の話だ?」
青年は唇を舐めて、覚悟を決めたように彼と目を合わせた。
「ルシア様が、事故に遭われました」
「何だと!」
デスクに手のひらを打ちつけて立ち上がると、男はビクリとしてすぐに視線を床に落とした。
「ルシアの具合は?」
唸るように言って、事故の原因がこの男であるかのようにねめつける。
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