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母が入院した。
脳溢血だった。
前にも同じように、母は一度倒れた事がある。
でもその時はすぐに退院できたし、母もまだ若かった。
手術は半日程度で終わって、翌日には目を醒まし、一週間後には退院して、いつもどおり皆の朝食を作っていた。
今から思うともうその時からは8年近くがたっている。
今度の入院は、勿論、そんな風にはいかなかった。
まず、キッチンで倒れている母を発見したのが遅かった。
私は残業だったし、弟も大学の飲み会。父に至ってはおおよそ十一時より前に帰宅した事がない。
唯一家に居たお婆ちゃんは、でも、寝たきりだ。
夕食時間忙しくなる母の手伝いに、ヘルパーさんに来てもらっている。そのヘルパーさんが、何回押しても応答のないチャイムと、開いたままの玄関の扉に驚いて、キッチンで倒れていた母を発見してくれたのが、夜七時の話だった。
朝までかかる大手術だった。ICUに三日、ナースステーション近くの個室に二日経ても、まだ、母は意識を取り戻さない。
……我が家はたちまち大パニックになった。
*****
父は保険会社の中間管理職だ。
保険会社もそれはそれは生存競争の激しい世界だそうで、父はどこまでも滅私奉公を強いられるとよく愚痴る。
母は悲壮げなその愚痴を聞いては後で真似して、けらけら笑っていたっけ。
家に帰ると母がいて、手作りのおやつが置いてある。
うちはそんな家だった。
家はいつも整理されていて、必要な物が必要な所に必ず収まっていた。
父が、二男であるにもかかわらず、お婆ちゃんを引き取る事ができたのも母のおかげだ。
お婆ちゃんは田舎であぜ道に落ち脚を怪我してから、めっきり痴呆が出て来て、しばらくは、父の兄の家にいた。伯父の家がぎくしゃくして、お婆ちゃんを老人ホームへ、という話が出た時、父は嫌がり、母に相談した。
母が「来てもらいなさいよ。大丈夫よ」と頷いたから、父は、お婆ちゃんを我が家へ連れてくる事ができたのだ。
それからのお婆ちゃんの介護は、実は相当に大変だった。
母の最初の脳溢血は慣れない介護のせいだったのじゃとさえ思うくらい。
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