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その頃のお婆ちゃんは、いわゆる「まだらボケ」というやつで、それはそれは手がかかった。母は一言も言わなかったけれど、それこそ精も根も尽き果てていたはずだ。
思えば母はその頃、よく、何の曲か判らない鼻歌を口ずさんでは、家のあちこちを磨いたり、掃除機をかけたりしていた。
随分機嫌が良いと思っていたけれど、今思えばあれはきっと違ったのだ。
自分の気持ちを奮い立たせるため。間違った気持ちを抱かないため。……まっすぐ前を見て、私たちに笑顔でいるため。
わざと、あんな調子はずれで陽気な歌を歌って家事をしていたのだと思う。
……そんな事を今更思うのは、母の入院とともに、その母が担ってくれていたすべてのものが、どっと残された私たち家族の肩に被さって来たから。
洗濯物は勝手に洗濯機に入ってはくれないし、朝食や夕食はテーブルの上に自然発生したりしない。
掃除機は毎日あてないと、あっという間に埃やごみが沸いてきて、必ずネズミ算式に増殖する。
何を子どものような事をと言われるかもしれないけれど、母がどれほどの事を私たちの見えないところでやってきてくれたのか、それを思い知らされた。
なにより一番大変だったのは、やはりお婆ちゃんだ。
数時間ごとに床ずれができないように移動させたり、おむつの世話をしたり。正直、これは父にも私にも衝撃と疲労を伴う作業だった。
家の雰囲気はどんどんと悪くなり、不機嫌になっていく。
限界はすぐやってきた。
私が夕食の支度をし、父が、週末に向けて母の病院に泊まり込みに行く用意をしている時、奥の部屋でお婆ちゃんが重い声をあげているのが聞こえた。
トイレだ。
弟はテレビを見ていた。私も父も、彼を見た。弟は露骨に嫌そうな顔をした。
その足元には、数日分の洗濯物がたたまれないまま、山になっている。仕事をして帰ってすぐ食事を作るから、掃除機だってこの一週間あてられていない。
もう、私も限界だった。
「……誠司。お婆ちゃん、見てあげてッ!」
誠司は聞こえない振りをした。
病院に持って行く荷物を纏めていたお父さんの眉も潜まった。
「誠司。愛子はいま夕食を作ってる。お前も何か手伝いなさい」
誠司が立ち上がった。
そしてお父さんに向かって、手を伸ばした。
「オレ、婆ちゃんの世話とか、無理だから。病院にはオレが行くから、父さんが婆ちゃん見てあげたら?」
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