第1章

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 一年前――。初夏、強風の夜。俺「坂本和貴」は遭難していた。  周囲の制止を振り切り、部の後輩であり恋人でもある深町深月を連れて山登りを敢行途中の事だった。  絶壁の登坂途上で嵐に見舞われた和貴と深月は遭難。携帯から救助を要請して暫く後――強風が襲った。 「救助が来るまで頑張るんだッ!」  高高度の風が吹き荒ぶ絶壁の岩肌。俺は深月(ミヅキ)の手を握りしめていた。  切り立った岩肌に削られ、二人とも命綱は切れている。落ちれば生命の保証はない。 「和貴(カズキ)、離さないで!」 「決して下を見るなよ!」  反射的に下を見やると、深月はたちまち顔色を失くす。  自分の置かれた状況を即座に理解したのだろう。彼女の瞳が切迫した色合いを帯びる。 「たっ、助けてぇ和貴!」 「あぁ分かってる。俺に任せろ!」  その時、肩と腕に激痛が奔り、俺は表情を歪ませた。下方を見やり檄を飛ばす。 「深月(ミヅキ)、しっかり捕まってろよ!」 「う……うんっ!」  汗でぬめった深月の手が徐々にずり落ちてゆく。 「絶対に離すなよ!」 「わ、分かってる……こんな所で死にたくなんかないっ!」  涙声が震える。何しろ落ちたら遥か崖下に真っ逆さまだ。  渾身の力を篭めて這い上がろうとする深月。だが、その時――。汗で手が滑った。 「――ッ!」  瞬間、はっと息を呑む俺と深月。伸ばした深月の手が、俺の手許をスルリと離れる。  時の停止した静謐の中で、深月の身体がスローモーションの様に闇の中に落下してゆく――。
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