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「いなくなるわけないじゃない。明日にはこんなところ出て行けばいい」
怜の身体を抱える良子の腕に力が入った。もう散々だった。早く家に帰ればいい。いや、明日でなく今からでもいい。
「誰が、怜君の身体がなくなるって?」
荷造りと帰宅の計画を見透かされ、また、天命を待つかのように、何も許されはしないと言われた気持ちになる。女将の言葉は、良子には脈略のないばかりだった。なのに、それらがまるで真実で、良子は何もできない愚物だと思い知らされた。何もできないから何もしないでいい。何もできないならそばにいなくていい。ハッとして、良子の中で何かがはじけた。
「貴方達はこんなところで、そんな商売して、アレに生贄をささげてんじゃない!!そして、怜がそれにふさわしいって、そうやって言うのよ!ありえないわ!そんな発想、ひとがすることじゃないわ!」
「…同じよ。貴女も怜君も、生贄でしかなかったじゃない。周りと同調できないからね、群れからはぐれた、足の弱い小鹿と同じ。獣に食べられるべき、群れに必要のない生き物よ」
「怜は、私の子よ!私の子ども。それだけで、生きる理由は彼にあるわ!」
「それはそう。だけど、群れの心をひどく汚く想うのならば、あなた方はそこで生きることはかなわないのよ」
良子の手がふっと緩む。良子の頭の中は真っ白だった。ぐちゃぐちゃとした想いが自分の内から外に吹き飛ばされたような気がした。感覚的な何らかの異変に驚いて、思わず立ち上がっていた。
その瞬間、良子の腕から解放された怜が、裸足のまま怜がロッジの外に飛び出した。怜が飛び出す前に、反射的に良子の身体も動いていた。怜を渡すもんか。わけのわからないものに怜を触れさせてたまるか、という半信半疑の気持ちと、何をしでかすかわからない怜への恐怖に、まみれていた。良子の顔は、母親の決意をも感じさせた。女将は、造作もないようなことだと言わんばかりの無表情で、ココアが入ったままのカップを洗い始めた。
「れいーーーーー、れいいいいーー」
風に身体がふらつきながらも、良子は声をあげた。怜の姿を目で追う。外は思ったよりも、雨風が強かった。雷鳴も大きく、黄色や青で、空が明るかった。あの白い揺らぎ、ではない。雷鳴は意思をもつかのように、その一筋の光に、はじまりとおわりがあった。揺らぎは、ただ、そこにある、ものだった。
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