いつの間にか6月

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「変えられぬ」人間などいない。 「変えられぬ」要素をいくら選び出しても変えられぬのではなく、嘆く必要などなくて、「深める」作業にある、ということを知りなさい。 個性、というものは果てがない。 変わったとしても、いずれは、それはもとのようにおさまる。 なぜならば、それ自体が真なる貴女の姿のだから。 変わるべきは、その心の深みや透明さであって、個性そのものを変化させるものではない。 永遠の時の中で、洗練された個性は際立つ。 個性と個性の中でより洗練されたものになるだけで あなた自身そのものが悪だという理由にはならない。 あなた自身そのものが悪だという理由にはならない。 子であるものが罪であるならば、親もまた罪である。 ゆえに、あなたが仏が罪なきものとするならば、 あなたもまた、罪なる意識を捨てることができるだろう。 さすれば、いかにそれを捨てるかであるが、仏に対する熱い想いを深めると同時に、すべてを許されたる今を、感謝しなさい。 よくよく見なさい。 あなたは、そうして自分だけですべてを抱えようと罪を囲うが、いずれも、あなたを通して、あなたの周囲にすこしずつ、その罪は流れていくさまがわかるだろうか そして、その罪なる意識が、とどまるところにはとどまり、あなたの大事なひとを苦しめる塊となってあることに、本当はきづいているのだろう さすれば さすれば そのものこそを愛せよ そのものこそを愛せよ 愛したならば、その愛に応じて、形を変える すなわち、己の未熟な愛がすべての根源の悪である 学びたることは己を変えることではない 学びたることは真なる自分を何とするかを明白にし それを現実化させてゆくことだよ あなたの本性たる姿とは、そのようなものではないということを、あなたはよくよく知っているはずである 生きるときに、生きる術をとりて、結果を得んとするがために、その術に己の心までがかかり、本来の貴女までを冒さんとするなれば それこそが一切の怠慢であり、偽りである よきことはよきこと 哀しむことは哀しむこと 喜ぶことは喜ぶこと そうした素直な心のあらわれが貴女から失くすのであれば それこそが罪である、偽りである。
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