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「変えられぬ」人間などいない。
「変えられぬ」要素をいくら選び出しても変えられぬのではなく、嘆く必要などなくて、「深める」作業にある、ということを知りなさい。
個性、というものは果てがない。
変わったとしても、いずれは、それはもとのようにおさまる。
なぜならば、それ自体が真なる貴女の姿のだから。
変わるべきは、その心の深みや透明さであって、個性そのものを変化させるものではない。
永遠の時の中で、洗練された個性は際立つ。
個性と個性の中でより洗練されたものになるだけで
あなた自身そのものが悪だという理由にはならない。
あなた自身そのものが悪だという理由にはならない。
子であるものが罪であるならば、親もまた罪である。
ゆえに、あなたが仏が罪なきものとするならば、
あなたもまた、罪なる意識を捨てることができるだろう。
さすれば、いかにそれを捨てるかであるが、仏に対する熱い想いを深めると同時に、すべてを許されたる今を、感謝しなさい。
よくよく見なさい。
あなたは、そうして自分だけですべてを抱えようと罪を囲うが、いずれも、あなたを通して、あなたの周囲にすこしずつ、その罪は流れていくさまがわかるだろうか
そして、その罪なる意識が、とどまるところにはとどまり、あなたの大事なひとを苦しめる塊となってあることに、本当はきづいているのだろう
さすれば さすれば
そのものこそを愛せよ
そのものこそを愛せよ
愛したならば、その愛に応じて、形を変える
すなわち、己の未熟な愛がすべての根源の悪である
学びたることは己を変えることではない
学びたることは真なる自分を何とするかを明白にし
それを現実化させてゆくことだよ
あなたの本性たる姿とは、そのようなものではないということを、あなたはよくよく知っているはずである
生きるときに、生きる術をとりて、結果を得んとするがために、その術に己の心までがかかり、本来の貴女までを冒さんとするなれば
それこそが一切の怠慢であり、偽りである
よきことはよきこと
哀しむことは哀しむこと
喜ぶことは喜ぶこと
そうした素直な心のあらわれが貴女から失くすのであれば
それこそが罪である、偽りである。
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