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何も関係なかった。その絵だけを視れればよかった。
でも、そのチャンスは逃してしまった。
急いだのだけれど、それは随分と急いだのだけど。
間に合わなかった。門は閉まっていた。だから。
そこにも、あの日の廊下と同じ日差しで直線に
真っ二つにされていて、私はどうしても魚を見たくて
水族館へ行ったんだった。少し、思い出してきました。
水族館にいる沢山の魚は影では無くて。奇麗で。
回遊というより浮遊していて。何となく修復した後の
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の魚料理みたいで。
ご馳走だから。食べられなくて、げっそり痩せて。
死を乗り越えて浮かび泳ぐ、私の、右目の中の魚と
大分に違うんだなぁって、思うようになってから、
いつしか私の半分は、右目から丸呑みされるような。
明暗は著しく。なのにその境界は曲線で。
それは、一筆書きでなぞった魚のシルエットみたい。
幼稚園の廊下にいた人が、漁師なのか画家なのかは
私には判らないし、判ろうとしてはいないのだけれど。
生きていても死んでいても半分だけなのは、きっと
たぶんきっと、魚が私で暮らしているせいなのも、
多少はあるのじゃないかなぁって、時々、思うのです。
いつかは釣り上げてみたいとも思うけれど。私は、
影を追っているのか、影法師を追っているのか。
どちらでも構わないのか、判然としままに毎朝毎朝。
ただ、左目に追い込んでみたくて堪らないんです。
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