第一章 滅亡への交響曲

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この時に両親をなくした僕はあと少しで絶望するところまで追い詰められていた。しかし紀伊という貴重な友人となにより自衛官という職にあったことは僕を正気にとどめ、その後の展開に大きく関わったのだろう ノブレス・オブリージュという言葉がある。英語であるがその訳は「高貴な身分にあるものはそれ相応の社会的責任を負う」というようなものである。彼は自衛官としての責務を誰よりも自覚していた。だからこそ、通常であれば絶望しかねない状況において正気を保てていたばかりでなく、近衛艦隊への就任要請があったのだ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・・・・・ 実際はそんな生やさしい話ではないが、僕自身そう思いたかった。いや、近衛艦隊への就任要請は覚悟を見込んでくれたのだと。でも僕はそう信じられるほど純真でもなく、そう自分を騙せるほど賢くもなかった。 ことは1950年台の冷戦期にさかのぼる。東西冷戦の間で反共の防波堤としての任務を与えられた日本は、しかし同盟国アメリカの都合で非武装から自衛戦力を持つようにと占領政策が転換された。 それは諜報網の再構築・・・対ソ連はもちろん対アメリカも含む形で旧軍首脳部が行った結果、警察予備隊のかげに旧中野学校出身者が集う形で総理府治安維持局が発足、宿主の成長に合わせ保安隊傘下の治安情報局に成長。ついには防衛庁情報局になり、防衛省傘下において陸上自衛隊や海上自衛隊にあった情報組織を束ねる形で情報本部が設置された。当初は平和的?な諜報活動に終始していたが、学生運動などに伴い、ソ連の軍事援助を受けた学生組織が武装蜂起することを危惧した時の政権と、再武装を強く望んだ治安情報局が結託する形で非致死性化学兵器を含む非合法武装を許可する特務作戦群(SMSG:Secret military strategy group)が発足した。そして浅間山荘事件などが続き、全局員への拳銃所持が非公式に認められるにあたり影の情報組織として正式始動したと言われる。裏の世界では所在地からアメリカ系が赤坂、ソ連系が神谷町等と呼ばれるのと同様、此の組織は市ヶ谷とも呼ばれる。日陰で暗躍する彼らは冷戦構造が終結した時に一旦解体の話が持ち上がったが、北朝鮮やサリン事件(一部では自作自演だという話もある)などが発生するにあたり政権にその存在意義を認めさせ、武装もより強化されていくのであった。
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