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海底の住処まで辿り着くと、ホッと息を吐く。
人間ではわたしの泳ぐスピードには追いつけないはずだし、昔とは違って、ここの海には人魚を護るために鮫たちが警戒してくれている。
大丈夫、ここは安全だ。
落ち着いてから、先程の人間を思い出す。若かった……そう、まだ、少年のようだった。
濡鴉のような漆黒の髪をしていた。
あのまま日が沈んでしまえば、闇と一体化してしまうのではないか、と思えるほど。
まさか密漁者ではないだろう。
でも、あの人間が、この海で人魚を見た、と言えば、また人間共が人魚の乱獲を始めるかもしれない。
危険かもしれないけど、明日、あの時間に、様子を見に行ってみよう。
そう決めると、寝床に丸まって目を瞑った。
ーー夢を見た。
それは、15歳になった時の記憶。
海上を見に行く事を許された日。
伯母たちが話してくれた、哀れで愚かな1人の人魚の物語。
その人魚には、生まれながらに婚約者がいた。
けれど、彼女は嵐の夜に、難破した船に乗っていた王子様に恋をした。
そして、事もあろうに、岩場に産卵した子供たちを捨て、婚約者も捨てて、魔女の元へ向かう。
彼女は自分の声と引き換えに、人間の姿を手に入れた。
しかし、その足は地面を歩くたびに針に刺されるような痛みを与え、王子が他の女性と結婚すれば、彼女は泡になって消えてしまう。
それでも、彼女は人間になる事を望み、海を捨てた。
だが、声を失った彼女は、自分が王子を助けたのだと伝える事は出来ない。
そうしている間に、事実は捻じ曲げられ、偶然通りかかった娘が王子を助けたのだという事になってしまった。
それから2年ほどの月日が経ち、王子はその娘との結婚を決めた。
彼女は、泡になって消えてしまうはずだった。
しかし、彼女の姉たちが、魔女との取り引きで、人魚に戻れる方法を聞き出してくれた。
短剣で王子の胸を貫き、その血を浴びれば彼女は人魚に戻れる。
でも、彼女には愛する王子を殺す事は出来ず、結局は泡になって消えてしまった……。
なんて残酷な話だろうか。
海の底には、彼女の子供が居たのに。
自分が居なくなってから、無事に孵化した卵があったとは思わなかったのかもしれない。
でも、確かに、彼女の子供はーーわたしは、居たのに。
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