第1章

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戦後70年  戦後70の時点においての雑感を述べる。  明治維新後70年は1938年であり、大本営が動きだし、中国の国民党に対して、「国民党を相手にせず」と宣言し、国家総動員法を公布した年である。  明治憲法下の日本と平和憲法下の日本とを対比したときに感慨深いものがある。 以下、対比例を挙げる。 1 憲法に絡んだ問題  明治憲法では、行政府、立法府と天皇との役割分担でもめた。  即ち、統帥権干犯問題と、天皇機関説問題である。  これは、明治憲法が天皇の権力を絶対なものとしながら、世間では立憲君主制などと言ってごまかしたことに起因している。  一方平和憲法では、戦力を持たないと宣言しながら、世界でも有数の戦力を誇る自衛隊を保有するという矛盾を抱えている。 2 見通しが立たない  中国進出はしたが、中国支配の見通しが全くないままに、ずるずる戦争はまった。  日本国家の借金は今や一千兆円を超え、その返済の見通しは全く立っていない。  国家予算はその半分が借金で賄われている。このままずるずる行ったらどうなるのか。 3 新幹線と戦艦大和  戦艦大和は過去の栄光を追うあまり、時代遅れの路を選んだ結果の産物である。新幹線も過去の成功にこだわり過ぎているようであり、その負の部分を考えずに増殖し続けている。  リニア新幹線などその必要性とコスト、自然に与える負荷とを勘案したときに、負の要素が大ではないかという疑問があるが、そのようなことは一切考慮されずに進んでいる。 4 特攻隊と原発  特攻隊は、狂気の手段であることは誰もが認めている。   原発は、これに準ずるもの、あるいは、これを凌駕するものではないか。  原発周辺の数十キロ、数十万の住民の避難を覚悟して原発を作るということは、特攻隊の死者数と比較して、途方もない狂気の沙汰と思える。
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