京の都

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 伊勢家とは先程も書いたが、幕府政所執事でもあり奉公衆・申次衆を多数輩出している一族でもある。また公方世継ぎの養育係でもあった。  当時、天下三流と呼ばれた武家礼法の一家に伊勢流があり、弓術・馬術の外向きの礼法は小笠原流、内向きの礼法は伊勢流とされていた為でもある。  宮中・御所内の作法は全て伊勢家が室町将軍家に教育しており、その分家でもある備中伊勢家の新九郎の家も作法は厳しく仕込まれ、普段の生活にも現れる程に染み込んでもいた。  しかし新九郎、家臣には「使い分けよ」と常から嘯いている。  しかるべきところでしかるべく作法を守ればその他は良い。との考えなのだ。  室町殿に非常に近い存在である伊勢家の出にしては、新九郎のこの考えは奇矯なほどに合理的なのかもしれない。
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